日本明慧
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文 河北大法大子 大法弟子程景山さん(男性、64才)、石家庄しラン城県柳林屯郷故意村の農民でした。法輪功を勉強する前は幾つもの病気をかかえていました。たとえば、萎縮性胃炎、上消化道出血などで、何十年も胃薬は効かないし、腰も痛いし、足も痛い、一年中、綿入れの下着をはいていて、手の骨の形も変わってしまった、等々です。法輪功を錬習してから、彼の身体はじょじょに回復しました。 1999年7月20日、江沢民が法輪功を迫害し始めた以降も、老人程景山さんは大法の煉功を続け、何回も北京へ事実を伝えに行きました。その後、看守所と敬老院で拘禁されてしまいました。看守所と拘留所で体罰、殴られ、手足を手錠で縛ばる、鼻から食料を押し込む等々の迫害を受けました。2008年8月に郷の敬老院と郷の政府の職員は個人の刑務所を設立し、郷長王書中は自ら程景山さんを深夜11時まで残酷な殴打をしました。また、郷の土管所李所長は竹の先を程景山さんのお腹と胸の両わきに刺しました。程景山さんは、無理矢理に立たせられると、両足を踏まれ、それによって長い間歩けなくなりました。 2001年9月19日程景山老人は三年の労働教養をいい渡たされ、石家庄労教所で迫害を続けられました。労教所で殴られ、寝ることを禁じられ、罰として長時間立ったままあるいは、しゃがんだままにさせられる、感電の棒で殴られたり、鼻から食料を押し込む等々残酷な迫害を受けました。 28ヵ月を経った2003年年末やっと家へ戻りました。ラン城県で小さな商売を始めました。2004年4月7日に真相の資料を配った為、又、逮捕され、老人の面影がみえなくなるまで殴られ。強制洗脳をした後、再び三年の労働教養を、いい渡されました。 看守所と労教所の中で程景山さんは迫害を拒むために断食をしました、それでも、迫害をされました。意識が、ほとんどなくなったので、2004年5月家族に背負われて家に帰りました。病院でのctの検査によって頭の出血がわかりました。程景山さんは頭の損傷によって意識不明となり2005年1月11に亡くなりました。 迫害した人の相関電話 (中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/1/23/94068.html) (英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2005/1/27/56944.html) |