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黒龍江大法弟子・孫桂栄さん、迫害を受け死亡(写真)

 【明慧ネット2005年2月13日】黒龍江省佳木斯市大法弟子孫桂栄さんは2002年2月4日、佳木斯市の公安局の副局長・李樹卿と他の不法組織610に家から拉致拘禁され、迫害を受け重病になり、不法な裁判後、ハルビン女子刑務所で迫害を受け末期の腸がんになった。2004年2月6日重病のため、服役中だったが一時出所して、長期にわたって掻き乱され、恐喝されました。2005年1月20日午後9時、冤罪が晴れないまま世を去った。

                          孫桂栄さん

 孫桂栄さん(65歳女性)は、1995年10月に法輪功を修煉はじめ、煉功する前はいろんな病気かかっており、歩行も困難であった。いろんなところで診ってもらったが、治らなかった。煉功後、すべての病気が治り、体が軽くなったし、若者も敵いません。

 江氏邪悪集団が法輪功を弾圧しはじめた1999年7月20日、孫桂栄さんはどうしても納得
が行かないので、北京へ陳情に行った。電車がそろそろハルビンに着くときに捕まり送還され、
佳木斯市向陽公安局に不法に拘禁され、数時間後、やっと家に釈放された。二回目北京へ行くと
き、車中で乗警察に拉致され、交佳東公安分局して佳市25中学校の隣にある派出所に拘禁され、翌日、向陽公安局に送られた。ただ北京に陳情行くだけで、向陽公安局は彼女を40日間留置場で不法に拘禁してから家に帰らせました。10日後、再び向陽公安分局の橋南派出所に拉致され、再び留置場に送られ40日間近く拘禁された。

 2002年2月4日、しかも佳木斯市法輪大法週の初日、市公安局副局長・李樹卿、“610”、
元永紅公安分局政保科(政治保護科)や新立派出所の邪悪な警察(趙忠祥を含めて)など十数人が、不法に孫桂栄さんの家に闖入し、大法に関しての本、ビデオ、CD-ROM、テープレコーダーなどを没収された。同時にありもしない話をでっち上げ、彼女は治安を乱したため拉致された。その夜、新立派出所で拘禁され、翌日留置場に送られた。

 湿気がすごく暗い留置場の十数坪の部屋に16、17人いて、夜横になっても寝れなかった。
しかも、食べ物も劣悪だった。それに精神的に迫害を受け、間もなく、孫桂栄さん身体中に疥癬
が生じ、痒くて、毎日血と膿が出て、吐血、血便も伴った。本人と家族は皆、強く要求したので、
病院に連れて行くと、ひどい痔ろうと診断された。病院は入院許可届けを出して、すぐにでも入
院治療を勧めたが、留置場の人々は人間性が少しもなので、入院許可をもらえず、治療もできな
かった。

 治療できないため、孫桂栄さんの病気が悪化し、留置場では、彼女を再び病院へ連れて行かなければならなかった。元永紅公安局政保科(政治保護科)警察たちと新立派出所の警察たちの厳密な監視の下で、佳市口腔医院に連れて行ったが、形だけでいい加減に済まし、孫桂栄さんの生死などはまったく構いはしなかった。この間、市610、元永紅公安局、検察院、および新立派出所の警察たちは、絶え間なく審問し、不法に強制的に写真やビデオを撮られ、次から次と罪名を捏造された。

 市公安局の陳万友、陳永徳、李樹卿らは、不法にも、押収した大法の資料の数を十倍に水増して、刑罰を下したのである。悪辣な警察の用意周到な画策で、孫桂栄さんは、まったく訴訟手続きを通されず、七年の重刑が課され、判決文が下りてから家族ははじめて事の次第を知った。孫桂栄さんは判決に不服を申し立て、上訴したが、却下され前回と同じ判決を下された。

 留置場にいる間、悪辣な警察は強制的に孫桂栄さんを精神病院に連れ行きました、精神は正常かどうかを診断し、それに家族のみんな900元の診断費を拉致しました。

 2003年1月17日、孫桂栄さんはハルビン女子刑務所に送られた。健康診断のとき、彼女
は年を取っているし、体も弱く、しかも疥癬にも感染していたので、彼女は刑務所に入るのは無理と拒否された。しかし、刑務所の女性職員の怠慢で、彼女は間違われて収監されてしまった。

 刑務所中で、常に“合同訓練隊”による“厳格管理”や“洗脳”などの酷刑で、彼女の体はよ
り悪くなって、歩行も困難になった。4ヵ月後いわゆる“服務大隊”に移動され、そこにいる人々ほとんど重病患者である。

 2003年11月、刑務所は彼女の身体を検査しなければならないので、家族に5000元を
ゆすった。診断結果は、末期腸がんとされ、直ちに重病のための服役中一時出所しなければなら
なかった。でも、刑務所は彼女の刑期は2年まだ経っていないことを口実にして、何度も時間を
延期して、家族は皆、絶えず強く要求したので、2004年2月6日家に戻らせることを許可された。

 釈放されても、ハルビン刑務所の悪辣な警察は彼女を掻き乱した。常にいたずら電話で恐喝し、彼女を刑務所に戻らせ、彼女や家族が皆精神的に大きい打撃を受け、病状はひどくなった、1年近く苦しみ、2005年1月20日夜9時罪を晴らせずに世を去った。


(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/2/13/95397.html

(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2005/2/17/57629.html