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思い出:成都法輪功講習会での師父

 文/四川成都大法弟子

 【明慧ネット2005年2月7日】1994年5月、私は幸いにも成都で開かれた偉大な師父の講習会に参加することができました。今振り返って見るとその時が、これまで私の人生の中で最も貴重で、一番幸せな日々でした。私は知識レベルが低いので、上手く表現できない所があると思いますが、やはり私の体験を同修の皆さんと共有したいと思います。

 師父はいつもきちんとした服装をされていて、素朴で穏やかな雰囲気で、慈悲の心が満ちていました。以前、私は多くの気功師の講習を受けたことがありますが、法理を解いてもらったことは一度もありませんでした。ただ、「功」を発するとか、発した「功」を受け取ると言ったいくつかの気功動作を教えてもらうのに過ぎないものでした。また、気功師が紙にわけのわからないものを書いて、良く保管しないさいと言って、講習会を終えるのが普通でした。しかし、我々の師父はああ言う気功師とはまったく違って、本や原稿を持たずに背広の上のポケットからただ一枚の小さなメモ紙を取り出し、直接講義を始めていました。すべての講習会はこういう形でした。当時講習会には800人が参加していましたが、おしゃべりする人は一人もおらず、会場は始終静かでした。師父は、時にはユーモアを交えながら法理を解いていて、会場は笑い声でいっぱいでした。不思議なことに、師父のお話を聞いていると心が穏やかになり、言葉ではなかなか上手く表現できないほどの幸せを感じました。当時のことは、まるで昨日の出来事のように未だに記憶に鮮明に残っています。
当初私は、病気治療を目的に講習会に参加しました。しかし、師父の講習を受けているうちに、私の人生観、世界観、道徳観は根本的に変わり始め、正しい生き方や良い人になるためにはどうすれば良いのかについて良くわかるようになりました。当然のことながら修煉することにより、すべての病気がなくなりました。

 私は法輪功を修煉する前の70年代から病気だらけで名医を求めて成都各地を走り回りました。お金を使い尽くしても治らない病気に負けて自殺を図ったことさえ有りました。こういうふうに、1994年まで辛うじて頑張って来たところ、幸いな事に、ある日友人から師父の成都講習会を紹介してもらいました。最初、私は煉功なんかするものかときっぱり断りましたが、友人の根基良い誘いを断りきれずついて行きました。しかし、会場に入り、『法輪功』改訂版に載っている師父の写真を見た瞬間、私は思わず「これは本当の佛なのだ、是非習いたい」と叫び出しました。

 師父は他人が何を考えているのかをすべて知っていました。ある日講習が終わると、ある人が師父を訪ねて病気を治して欲しいと言っていました。師父は「私は病気治療などしません。病気があれば病院に行ってください!」と答えました。しかし、あの人は「家族の人が北京から電話して来て、あなたはどんな病気でも治せると言っていました」と、追いすがりました。そばにいた私は「あなたは病気治療って言わなきゃ良かったのに」と、一言口を挟みました。その時師父は「ある人はただそれを口にしないだけです」と言いましたので私は驚いてしまいました。李先生の神通力って不思議なものでした!

 ある日講習会が終わって家に帰る時、私は同行の人たちに「これは佛家功ですからいつか、あなた達をお寺に連れて行って帰依させてあげますね」と言うと、彼女たちが賛成しました。翌日、師父は講義の中で「ある学習者は佛家功だと聞いて、すぐ我々の学習者をお寺に連れて帰依させたがりますが」と、修煉は専一でなければならないという法理を述べて下さいました。私は自分の誤った認識を正し、師父の神通力にもう一度感動しました。我々のすべての考えを師父は全部知っていました!

 もう一つですが、私と同行した人が講習会で直接法輪功の本にメモを取ろうとしていると、師父は「今一部の人は本にメモを取ろうとしていますが」と言いました。同行した人はびっくりしてペンを落としながらも「先生、すごい!」と叫んでいました。当初、我々が講習会に参加する時家で言った話のすべてを、師父は全部知っていました。友人に連れられて講習会に出た初日、師父は「ある人は人に連れられてここに来ていますね」と言いました。私のことだろうと思いましたが、結果的には師父が私を預かって下さいました。

 師父は、男性は左手・女性は右手を伸ばして何か感じ取って下さいと言われました。当時、私は何か回転しているのに気づきました。法輪を植え付けてあげるという内容に言及した時、私は下腹部で法輪が回転しているのを感じました。その時から、私はすべての良くない考えを捨てるようになりました。我々常人の考えを持って師父に応じてはいけません。師父は普通の人ではなく一番正しく慈悲な神様です。

 私は心から我々の最も偉大な師父を尊敬し、師父が按配して下さった修煉の道を正しく歩み、足りない部分を補いながら時間を惜しんで、正法時期大法弟子としての使命を果たしたいと思います。師父、ご安心下さい!

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/2/7/95001.html