日本明慧
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文/シャンペーんの法輪功学習者 【明慧ネット2005年2月17日】米国イリノイ大学アーバナ・シャンペーん校の法輪功学習者は14日、同大学の卒業生である李祥春さんを救出するための記者会見をキャンパスで再び開いた。マーク・クヌード氏が全世界で活動する「李祥春さん救出委員会」を代表して、速やかに李祥春さんを釈放するよう、呼びかけた。 会見では、李祥春さんの婚約者・符泳青さんが、李祥春さんは現在中国南京刑務所で非人間的な待遇を受けており、安否を心配していると述べた、同大学フォン浩教授は、李祥春さんが居住していたカリフォルニア州メンロパーク市代表の国会議員から、中国政府は李さんの即時釈放を求める文書を読み上げ、同大学トマソン教授は、李さんが以前勤務していたマサチューセッツ総合病院院長ピーター・スレイヴィンさんによる釈放を呼びかける支援文書を読み上げた。 アメリカ国民である李祥春さんは2003年1月22日、在米領事館からもらったビザで広州白雲飛空港で通関と同時に拘禁され、その後ほぼ2ヶ月拘禁された。2003年3月20日、中国江蘇揚州法廷で“テレビ・ラジオ設備の生産妨害”の罪で3年半の懲役と国外追放を言い渡された。2003年3月31日、李祥春さんは上訴したが、5月8日上訴が棄却され、5月12日、揚州拘禁センタから南京刑務所に移送された。刑務所では、李祥春さんは殴られ、鼻から食料を押し込まれ、精神洗脳などいろんな残酷な刑を受け、すでに二年が過ぎた。 この日はバレンタインデー。符泳青さんは寒風が吹きすさぶ中、李祥春さんがクリスマスの電飾作りを強要され、毒が入っている糊を使って靴を生産するなど、刑務所で受けている過酷な強制労働の実態について述べた。李さんは、こうした厳しい環境下で、健康状態は劇的に悪化し、心臓に問題があり、呼吸が速くなった。符泳青さんによれば、李祥春さんの母親は2005年1月25日、中国の自宅で亡くなり、李さんは南京刑務所から家に着いたのは、死後40分後で、母親の葬式をする間もなく、数分で強制的に南京刑務所に引き戻された。 上海にあるアメリカ領事館職員らが、アメリカ国民の李祥春さんが拘禁されてから数回南京刑務所を訪れた、アメリカ国務省領事館担当スポークスマンのケリー・シャノンによると、李祥春さんが2003年初めに逮捕されて以来、アメリカ領事館職員らは50回近く面談したと言う。 この二年余り、海外では、李祥春さんの無条件釈放の呼びかけが続いている。多くのアメリカ人は、李祥春さんの苦境を通して、中国で起きている法輪功学習者への残酷な迫害と虐殺を知り、支援に加わっている。中国の国民に法輪功迫害の真相を伝えるために、李さんが大きな犠牲を払っているのは、まさに賞賛に値すると、多くの民衆は見ている。 (中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/2/17/95660.html) (英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2005/2/18/57673.html) |