日本明慧


法は唯一の基準

 文/大陸大法弟子

 【明慧ネット2005年2月19日】一部の学習者は、修煉する時いつもこの人はどのように修煉しているか、あの人はどのように修煉しているかを見ているが、しかし修煉には手本がない。実は法こそ唯一の基準である。どのようにやれば良いと認識したら、あのようにやれば結構である。ただし師父が教えてくれた三つの仕事から離れてはいけない。

 修煉は着実に行うべきであり、しかも非常に厳粛なことである。いつも他人がどのように修煉するのかと気にすれば、修煉に妨害が生じ、自分の修煉が影響されるので、この面での教訓も少なくない。われわれは修煉していても人心があるため、よく他人から学ぶことがあるが、これによって彼に執着心を生じさせてしまう。甚だしい場合は旧勢力に利用され、修煉することと法を正すことを妨害されるかも知れない。或いは、われわれ自身に妨害をもたらし、「だれそれがこうやっているので、われわれもそうやりましょう。」と言いながら、われわれを脇道に引っ張って行くかも知れない。この面での痛ましい教訓も少なくない。

 法こそ唯一の基準であり、常に法を第一位としなければならない。個人の認識を混入したものを法として修煉を指導することは決して許されない。法を正すことを指導出来るのは

 法しかない。法こそ唯一の基準であり、心を静めて、自分を顕示する心やあれこれを求める心などを捨てなければ、法理の内涵は理解できないだろう。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/2/19/95744.html