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黒龍江省大法弟子:楊海玲さんを死亡に至らせた迫害の補足資料(写真)

 【明慧ネット2005年2月17日】黒龍江省鶏西市東海鉱地区在住の楊海玲さん(女性、1968年の生まれ)は1997年から法輪大法を修煉し始めた。楊海玲さんは生前修煉を堅持するとともに、江氏集団のデマに欺かれている当地の人々を救うために、他の大法弟子とともに真相資料を配った。楊さんは2003年4月12日黒龍江省密山市第一留置所で迫害により死亡した。下記は最近伝わってきた楊海玲さんが迫害による死亡に関することである。

                                               生前の楊海玲さんと子供

 楊海玲さんは2002年4月25日の夜、密山市で待ち伏せをしていた警察に連行された。その夜、楊海玲さんは刑事警察隊で不法に尋問された。拷問にかけられ、酷刑の虐待を受けて、立つことが出来なくなって、人に抱えられて車に乗せられた。翌日、刑事警察隊の鞠紅軍、劉小虎は留置所で楊海玲さんを尋問する際、針で彼女の頭、腕や手を突き刺したり、殴ったりした。6月には政治防衛課の孟慶啓、杜永山、李剛などが楊さんを再度尋問したが、その時は、後ろから彼女の両手に手錠を嵌め、注射器で彼女の鼻にからし粉の油を入れたり、目にからし粉の油を塗ったりして、一日中虐待した。

 8月に5名の大法弟子の不法な労働教養期間が終わり、労働教養所は彼らを釈放した。しかし、留置所はニヶ月経っても彼らを拘禁していた。2002年10月14日、楊海玲さんと他の10数名の大法弟子は断食をし、上記5名の大法弟子を釈放するように要求した。すると、留置所は、彼らに強制食物注入を行った。楊さんは11月1日に密山市病院に運ばれ、緊急手当てを受けると、11月9日にまた密山市第一留置所に送り返されてきた。

 2003年4月11日、楊海玲さんと他の3名の大法弟子は正念を発する時、留置所所長;馬宝生と看守、犯罪人らに殴られた。馬宝生は楊海玲さんの髪の毛を引っ張って、ベッドの敷き板にぶつけた。ドンという音が聞こえ、楊海玲さんは気を失ってしまった。翌日の4月12日昼1時20分頃、楊海玲さんは留置所で死亡した。

                傷痕だらけの楊海玲さんの遺体

 留置所にいる間、楊海玲さんは密山市裁判所より12年の不法判決を受けた。まだ、一年も経たないのに留置所で迫害により死亡した。留置所は情報封鎖のため、如何なる人も楊さんの家族と接触出来ないようにした。知り合いを通じて接するとしても、一言もしゃべることは禁止された。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/2/17/95659.html