日本明慧


法を正す時期の大法弟子は利己心を確実に取り除かなければならない

 文/河北省の学習者 楊帆 

 【明慧ネット2005年2月8日】師父が《2004年ニューヨーク国際法会での講法》で、“私は融資に賛成しません。くれぐれも借金を作らないでください。借金を作らないでください。”とおっしゃいました。それを読み、法を正す最後の時期に、大法弟子は、師父のおっしゃった三つの事をしっかりと行うほか、更に、自分(修煉者)と家庭との関係を正し、利己心を取り除くべきだと認識しました。 

 法を正す最後の時となり、極端な認識をしてしまい、以前行ったことが不十分であるにも関わらず、圓満の時が近づいたと思い込み、家中が乱れていても、家のことに無関心であり、果たすべき責任も果たせず、すべて他人に助けてもらい、自分は家を出て、真相を伝えることだけに専念するようなことは、してはならないと思います。もし、私達の修煉の道が、後進の人達に参照させるものであるならば、より正しく行わなければなりません。さもないと、このような様子を、後進の人達はどのように理解し、参照するのでしょうか?その根源は、自分の為私の為ではないかと…

 法を正す時期の大法弟子は、金銭と享楽について、自分に厳しく要求をしなければならないと思います。大法の本を手に持ち、三つの事をしっかりと行えば、必ず圓満成就できると思い込んでいる人がいます。この世にせっかく来たということで、享楽に耽り、勘定付けして飲食し、お金を借りたまま返さず、自分が圓満成就したら、修煉しない家族に少しずつ借金を返済させようとします。もし世間の人も、これを見本とし真似して、大法を放棄しない一方、世の中で借金をしたまま返さず、派手に飲み食いし、圓満成就できるとしたら、世の中はどのように変わって行くのでしょうか?これは、あらゆる所で他人の為を考える真修の大法弟子の行為なのでしょうか?大法弟子の一言一行は、真相を伝えるものです。

 師父は《2004年ワシントンDC法会での説法》で、“大法弟子の修煉は法を証明する中で圓満成就するためですが、大法弟子として、皆さんも衆生を救い済度しており、多くの生命が今回法を正す中で済度され救われ得るようにしています。”とおっしゃいました。自分が正しく行っていないのであれば、大法にマイナスの影響を及ぼし、縁のある人をきっぱりと断ってしまうことになるでしょう。

 私達大法弟子は、衆生を救い済度し、より多くの人が大法の中で救い済度されるため、普段の生活を切り詰め、貯めたお金を、真相を知らせることに用い、生活の中で自分を厳しく要求し、自分の正しい念正しい行を以って、世間の人に法を正す時期の大法弟子の姿を見せています。より多くの人が救い済度されるならば、条件がどんなに厳しくとも、私達は最も楽しいはずです。比べてみれば、どのような境地にいるのか、一目で分かります。

 私達は、今生幸運にも師父が衆生を遍く救い済度することに出会い、大法を修煉し、法を正す時期の大法の弟子となり、師父は私達の何生何世以来の業力を引き受けてくださり、また最高の誉れを与えて下さいました。まさか世の中で借りたお金をも、師父に返済してもらうつもりなのでしょうか。“この宇宙には、失わない者は得られず、得ようとすれば失わなければならぬ、という理があります。”(《転法輪》)。師父はすべての弟子を連れて行かれたくお思いのことでしょうが、標準に達していない人はどうなのでしょうか。師父の慈悲を疎かにしてはならないと思います。

 借金を返さないということは、他の家庭にもどのような傷跡を残したことでしょうか。これは大法の弟子としての行為なのでしょうか。覚者がこのような心理状態にあるとは言えません。師父は、私達に無私無我、かつ他人を先に自分は後にする正覚に修成するよう指導されました。法を正す弟子の行為は、歴史を創始し、後代の人に参照させるものでしょうが、借金を返さないという先例があっていいものでしょうか?

 法を正す時期の大法弟子は、無条件に大法に同化すべきで、大法に同化しないと、旧勢力の理に従うことになると思います。“あなたの心を放下できなければ、何も放下できない、ということなのですから、真の修煉の目的は、その心を修めるところにあるのです。”(《転法輪》)。これらの法理は:常に法を念頭に置き、師父、大法を堅固に信じるならば、表裏もなく、「黄金珠玉のその外、腐った綿のその内(内心の良くないところが隠され、本質から変化していない、ということを物語っています)」と言ったことも無い、ということを教えてくれます。大法弟子は、一挙一動がすべて“真・善・忍”に従い、自分に厳しく要求し、世間の人を感心させるほか、天上の神をも感心させなければならず、法を正す時期の大法弟子の称号に恥じないようすべきでしょう。

 師父は衆生を救い済度するため、私達のためにすべてを尽くされておられます。修煉者であるならば、師父の前で嘘を付くことなどできることでしょうか。借金を返さないという背後に、いかに醜い心が隠されているのでしょうか?自分の私欲を満たすために口実を探さないでください。修煉者として、身の回りに起こった事は内に向かって、自分の原因を探すべきであり、責任を他人に押し付けることができるのでしょうか?もし、最低の一層の法にさえも達していないのであれば、圓満成就も成らず、佛位まで押し上げてもらったとしても、留まることもできないでしょう。

 私達大法の弟子は、今生大法を修煉し、師を手伝い、法を正すことができ、この永久なる機縁を大切にし、一歩一歩を確実にしっかりと歩み、好機を逃してはならず、失ったならば、二度とは来ないことでしょう。最後の時が近づくにつれ、私達は師を手伝い、衆生を救い済度する法を正す時期の大法弟子であることを、いつも念頭に置かなければならないと思います。師父は “行うべき全てを良く行ってください。未来の最も偉大で、最も素晴らしい栄光は皆さんを待っています。”(《2004年ワシントンDC法会での説法》)とおっしゃいました。

 借金を借りて返さない学習者は、冷静に法を良く学び、どうぞ自分の行為を反省されてください。終わりに、師父《洪吟》の中の《実修》“法を学びて法を得る、学んで比し修して比す、事々く対照し、做すところ到るは是れ修”を以って、お互いに励まし合いましょう。

 以上は個人の浅見であり、慈悲のご叱正のほどお願い致します。

 

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/2/8/95103.html

(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2005/2/25/57891.html