日本明慧
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【明慧ネット2005年3月3日】黒龍江鶴崗市大法弟子譚延軍さんは、不法に3回ほど拘禁され迫害を受けていた。いろんな残酷な酷刑で虐待され、寝たきりになった。危篤の状況で、2004年11月に重病のため、服役中一時出所して、2005年2月27日に冤罪が晴れないまま世を去ったが、二人の未成年の子供が残されている。その以前に、彼の父親;譚国義さんも絶えず掻き乱され続ける迫害を受けて2004年7月3日に冤罪が晴されないまま世を去った。 譚延軍さん、男性、41歳、もともと黒龍江省鶴崗市工農区45委9組に住んでいた。2000年3月1日に、家での悪徳な警官章平に鶴崗市工農公安局新南派出所の、2回目で新南派出所に連行された。悪徳な警官章平は手錠を掛けると、譚延軍さんのポッケトから鍵を取り、譚延軍さんの家中の大法本、テープ、お金などたくさんの貴重品を取ってから、譚延軍さんを看守所に送った。看守所の中の7ヶ月間、彼はいろんな残酷な酷刑で虐待され、苦しみぬいて歩けなくなり、あるとき意識を失って9日間たった。公安局は責任を担うことを心配し、譚延軍さんの家族に2000元払うことを要求し、それで釈放した。 2002年1月9日朝、譚延軍さんは鶴崗市公安局工農公安支部新南派出所の悪徳な警察張軍、劉兵、姜金升などに不法に連行され、再び、鶴崗市第一看守所に送られた。工農公安局副局長李樹江(610組織の人)をはじめとして常に“骨を割る”(酷刑の一種)など酷刑を受けさせられた。李樹江は、体の206個の骨を一つ一つチェックしながら殴り、「死んだとしても伝達事項があるし、死ななかったら一息のみを残るだけでいい。」といった。譚延軍さんは殴られて心臓病を発病、耳の膜は破れ(診断書がある)、しかも全身が動けずに寝たきりになった、看守所の土の上に置かれたまま、自分の生活はできなかった。 譚延軍さんは危篤の最中に、さらに、9年の懲役を言い渡された。看守所はまだ、面会を許さなかった。迫害を受けて崩れたから、不法の人は服役をさせ、処理されなかった、家族みんな何度も行って結果はなかった。危篤の最中で、譚延軍さんは2004年11月中頃重病のための服役中一時出所して、2005年2月27日に冤罪が晴れないままに世を去った。
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/3/3/96526.html) (英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2005/3/5/58161.html) |