日本明慧
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【明慧ネット2005年3月1日】山東省威海市の法輪功学習者・田麗さんは2002年5月22日、威海市環翠区の610オフィスのボス・劉傑等に、威海高区の留置場に連行された。留置場で迫害され、半身不随になり自立ができなくなった。2005年2月21日、無念の思いでこの世を去った。 田麗さんは女性で、42歳、98年の後半、法輪功の修煉を始めた。明慧ネット2003年10月24日の報道によると、2002年5月22日午前8時か、9時頃、威海市の610オフィスのボス・劉傑は4人を連れ、田麗さんの会社—威海市の海林ホテルに来て、理不尽にも田麗さんをひどく殴り、その後、威海市の城里派出所に連行し、またそこで殴り続けた。さらに、威海市高区の留置場に移した。悪警官は田麗さんに手錠をかけ(片手は腰から体の後ろに廻し、もう一方の手は肩から後方に下げ、背部で強引に手錠をかけた)、鉄の椅子に座らせて、烈日の下にさらした。午後1時頃、痛みと痺れで身体を動かそうとしたが、鉄の椅子ごと倒れ、その場で意識不明になった。意識が戻った時、全身はすでに動けなくなっていた。警官は田麗さんの瞼を見て大丈夫と言い、再び鉄の椅子に縛った。しばらくして、田麗さんの脈に触ってみて、様子がおかしいと感じ、威海市市立病院に送った。一ヶ月間入院したが、ずっと半身不随のままだった。入院費、生活費などは全部田麗さん自身が支払っていた。結局、病院にいても治らないので、家に帰るしかなかった。 今に至っても、田麗さんは半身不随のままで、長期間ベッドに寝たきりの状態であり、大便は人に掘り出してもらっていた。たまに特殊ベッドの上部を上げ、座らせるようにしたが、長くても1時間しかもたなかった。脚、腕も変形してしまっていた。田麗さんの夫は毎日仕事に行かなければならず、息子はまだ11歳で小学校の四年生であり、人を雇って田麗さんの世話をみてもらうしかなかった。もともと健康な田麗さんは、迫害により半身不随になったが、警官は「飛び降り自殺未遂で、こうなった」と放言した。 (中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/3/1/96362.html) (英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2005/3/2/58066.html) |