日本明慧
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【明慧ネット2005年3月14日】 修煉の道を歩む 私は2004年春節以後、大法を修煉しはじめ、私の人生が変わり、幸せな家庭になった。初めて『転法輪』を読み終わったとき、私は長い間泣いた。私の暗く閉ざされた心が突然外の明かりを見たようだった。大法は私の心に明かりを与えてくれた。こんなに、長い年月の間、私はずっと大法を待っていた。 私は小さい時から両親にかわいがられて育った。家はそれほど豊かじゃなかったけれど、人並みの生活はしていた。だから、私はずっと、困難なことがあると思ったことはなかった。私が嫁に行く前に、農村で土地改革が始まった。19歳を超えると土地をくれなくなった。私が嫁に行っても、夫の実家がある村は土地をくれなかった。ずっと今まで、農村で生きていくための土地が、私の分はなかった。私は何回も党委員会書記と話したけれど、彼らはお互いに責任逃れをするばかりで、これらの腐敗官吏はみな自分の利益のためのみで、個人の生死に関わろうとしなかった。仕方なく私は自分の力で生きていくしかなかった。生活のため夫は外出してバイトをし始めたので、私は4歳の子供とともに家にいた。しかし、2年も立たないうちに夫は外で不倫をした。そして一人の女の子が生まれると、それから夫は私たち母子を捨ててしまった。仕方なく私は子供を実家に預けて、バイトをし始めた。この10年来、子供を育てて、学校に行かせたけれど、その間に、世間の辛酸苦を味わい、何回も自殺しょうと思ったが、できなかった。上には天があり、下には地があり、真ん中は良心がある、私はいかなる時でも良心に背くことはなかった。なぜ私に対してこんな按配なのか、既然天地の間に生きる徳があり、私は再び自殺する気はなくなった、このような不公平な人生を過ごした私は「佛」に対して興味があった。 一日が一年のように長くてつらい10年の時が過ぎ去った。兄嫁(大法弟子)の紹介で私は大法を修煉し始めた、修煉してから私は分かった、私が味わった苦しみ、つらい生活、自殺未遂も、大法を得るためだ、この一切は大法のためにあった、大法は私の人生の道を変えた。私は同修と家庭を作り、一緒に学び、修め、お互いに尊敬し、愛し、私の息子も法を得た、私達の因縁で、両家の老人と親戚は大法に対して正しい認識ができて、今日私は大法の中で受益して、まだどうして人にこんなよい大法を伝えないなんてできるだろうか? 私32歳、重慶市の生まれ、私と夫は商売をして儲かったので、多少貯金がある。 2003年、私は体の状態が悪くて、沈陽黄姑区七三九医院で治療を受けたが、検査結果は元々自分が持っていた病気によるもので、1000元以上払って、ちょっと好転があった。同年12月、私は長春で仕事をしている時に、元の病気が再発した。松原中病院で治療をしてもらったが、検査結果は心臓病、脳供血量不足、胆嚢のポリープ等で、七日間入院して5000元を払って退院した。 後は仕事ができないため沈陽に帰った。しかし、旧暦12月27日心臓が発作をおこして、また七三九病院へ緊急措置をとった。三千元を払った。ますます、病状が悪化して、私は沈陽二四二病院、大衆病院、鉄西中医院、医大二、遼寧中医院、紅十字医院など行って、全部で四万元以上払ったが、病状は依然として重くなって、危篤状態だった。 その間も、2004年旧暦二月、巫術医に見てもらって、五千元を払ったが、病気は治らなかった。最後にお金がなくなって家に帰った。 家に帰ってから、大法弟子に紹介されて、私は2004年12月10日から大法を修煉し始めた。そのとき以来、私は一日一日元気になった。以前は、いつも薬の瓶をもっていて、生活はみな夫に助けてもらった。現在、大法を修煉してから、私は正常人と同じく、一粒の薬も飲まないで、どんな仕事もできるようになった。 とても師父に感謝しています、私に第二の生命を与えてくれた。 私は世間の人々へ言いたい:法輪大法はよい!法輪大法は正法だ!
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/3/14/97338.html)
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