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共産党員の脱党及び九評に関する文章は原則として大法の真相資料に交えてはならない

 文/明慧定期刊行物編集部

 【明慧ネット2005年4月9日】大陸の学習者が最近製作した真相チラシ及び真相小冊子に「九評と共産党からの脱党」の内容を交えていることが分かり、これは決して適切ではない。大法の真相資料は迫害の暴露と大法の真相を明らかにすることが目的であるので、共産党を脱党する件及び九評に関する内容は原則として加えてはならない。

 師父は「九評」に関する質問を回答する際に『明慧ネットはこれに関する報道はしていない。何故ならば、大法の修練に於いてそれらのことは重点として見なさないからだ。』(「2004年ニューヨークに於ける説法」)。大法弟子の立場で製作し配布する真相資料の内容は原則として明慧ネットの内容と同じでなければならない。なぜなら、大法弟子は常人社会の一員として、共産党が大法の迫害に対して直接関係しているため、共産党と言う邪まなものを明らかにしたのであり、世の人々が共産党文化の束縛から解放されることを助け、妨げなく大法の真相を知ってもらうためである。チラシや小冊子の中で共産党が法輪功に対する迫害について、共産党が過去の歴史の中で行ってきた「偽戦い」と言う事実と共産党の邪悪な本性に、たまに触れたり、ついでとして、九評の社会に於ける反響及び共産党の党員が脱党している実情を参考資料として真相資料と同時に配布することに関しては妥当であり、共産党文化に深い影響を受けている読者も先入観なくまた反感なく受け入れられるというのが、定期刊行物の編集者達の見方である。

 もう一つは、大法弟子として人々の脱党を呼び掛けないように注意すべきである。

 師父は「世の人々に共産党の本性と何故共産党は大法弟子を迫害するのかについて理解してもらうために、『九評』を読んでもらうことが必須である。」(「不政治」)と話された。メディアが「九評及び脱党」の報道をする以外に、大法弟子は弟子の立場として九評及び脱党の話しに直接触れてはいけない。真相を伝える際、相手の受け入れ能力によって、社会の一員として「九評」を話し、相手に邪悪共産党の本質を認識してもらう手助けをすれば良い。又、明慧ネットにも九評や共産党の脱党に関する参考資料、チラシ及び小冊子は載っている。(小冊子及びチラシは主に「獣の印を抹消し天機を蓄え」、「天下を見渡す」、「覚醒」、「世を警告するためになる話」、「未来を選択」等。)

 又、中国共産党に関する師父の話や経文をそのまま真相資料の中に引用しないように注意すべきである。師父は常人に対してではなく、弟子達に対して説法しているのである。勿論、常人の中には悟性の良い者もいるかもしれない。この特別な時期に於いて師父からは話の引用を許可しないこともないのだが、我々大法弟子は師を敬うことに基づいて慎重にこの問題を考える必要がある。我々は世の人々に対して思いやりをもって考える必要がある(真相を知らない人々は師父の話を正確に理解できているのか?人々は自分の固有観念をもって師父の話しを誤解し、更に先入観を固執してその話に対して逆に反発しないのか?)。我々は冷静にならず熟慮せずに自分勝手に判断して処理してしまえば、それは自らを放任していることになり、修練者として持つべき心性から離れてしまう現われであろう。

 一つの例として、師父は「共産党は必ず法輪功に勝つと叫び出た時点で、中国共産党の邪悪霊体及び中国共産党が今まで迫害をやらせてきた全てのヤクザのような集団は既に全宇宙の神々に死罪を下された。」と話された。(『世に向けて法輪を回転させる』)これはとても大きな且つ重要な天機である。全ての生命がはっきりと分かっている一面に震撼させられた。しかし、真相資料にこの言葉の意味を表現したい場合は、我々の言葉で説明すべく師父の言葉を引用してはならない。何故ならば、常人は真相資料を読む際、明白でない一面も必ず作用するからである。我々は世の人々を救い済度するときは必ず正念をもって、行動も正しく行わなければならない。しかし、これは一方的に自分の思う通りに事を運んだり、熟慮せずに強行に何かを行ったりしてしまうことと異なることに注意して欲しい。

 ここ数年、大陸の学習者達は自発的に真相定期刊行物(主に小冊子とチラシ)及び特集刊行物を発行している。他には真相のお守り、不乾膠、グリーティングカードなど異なる形の真相資料もあり、これらの作品に多くの学習者の知恵、汗と心血が注がれており、人々を救い済度することに大きく作用をしている。新しく出て来る真相資料の内容から学習者達が真相を伝えることに対して成熟してきたことが伺える。我々定期刊行物部の者は、それぞれが出来る範囲内で、真相の内容を把握し、整った資料を作成する過程に於いて円融の作用を果たすに過ぎず、我々にとって、実質上他の学習者達と互いに学び、互いに向上させる過程でもある。

 法を正す新しい状勢の下、我々は定期刊行物の仕事をしっかりと継続させることを望み、より的を射ている、読者の興味を引き付ける作品の制作ができるように向上したいと思うのである。

合十

(2005年4月8日)


(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/4/9/99260.html