内蒙古の呉玉琴さんは610に虐殺され、子供達は互いに寄り添って生きる
文/内蒙古大法弟子
【明慧ネット2005年4月1日】内蒙古錫林浩特市の大法弟子・呉玉琴さんは、2003年12月25日錫林浩特市610オフィスの警官に連行され、その夜迫害されて死亡した。六回の激しい交渉を経て、市委員会幹部が間に立って解決して、六名の警官(関係ある指導者も含む)を行政処分にし、3万5千元(約50万円)の弁償をさせ、2004年1月8日錫林浩特市公安局の厳しい監視の下で、呉玉琴の死体は火葬された。
呉玉琴さんは漢民族の48歳の女性である。昔は内蒙古自治区の錫林郭勒盟西烏珠穆沁旗白音烏拉牧場の4組に住んでいたが、1997年に錫林浩特市に引越してきて、農場に住んでいた。7.20後彼女はただ一人で北京に行って真相を説明し、大法を証実し、天安門で大法を証明する横幕を掲げたことがあった。彼女は正念を持って北京に行き、また正念を持って戻ってきた。戻ってきてから同修達と公園などで煉功したが、その環境は終に警察によって破壊された。
2003年12月25日午前9時半頃、錫林浩特市の610オフィスから3人がやって来た。彼らは女性2人と男性1人で、男性は双喜と呼ばれる30歳の蒙古族だった。彼らは呉玉琴の家に飛び込んで、家事をしている彼女を無理やり外に引っ張って行って、車の中に押し込んで連行して行った。目撃者の話によると、当時彼女はスリッパしか穿いていなかった。
子供が放課後学校から帰ってきて見たら、部屋が酷く混乱されているので、お母さんが連行されたということが分かった。
翌日(12月26日)の午前10時、錫林浩特市公安局から家族に死体を見に来いという知らせが来た。知らせには、呉玉琴さんは錫林浩特市公安局ビルの5階から飛び降りて自殺したと嘘が書いてあった。呉玉琴の主人は錫林浩特市から遠く離れている白音烏拉から、子供達と一緒に死体を見に行ったが、死体はすでに密かに錫林浩特市看守所に移されて、一つの空室に置かれていた。彼女の顔色は青白く、左の頭骨は3cmほど深く凹んでいた。しかし、外耳道や鼻穴には血一つもなかった。もしビルから飛び降りたら、死体は破れて血だらけになるべきだろう。
家族は「どうして現場に行ってみるよう家族に知らせなかったのですか、どうして病院に連れて行って救急措置をしなかったのですか、どうして死体を死体安置所に置かず、看守所に置いたのですか、どうして人を掴んで行きながら、家族に教えてくれなかったのですか」と質問した。親戚は死者のビデオを撮り、写真を撮ろうとしたが、公安局の官員に無理やり止められた。
2003年12月26日夜、錫林浩特市の「専門調査団」が訪れて、死体を火葬してしまうよう提案したが、家族に断られた。その後、錫林浩特市610オフィスの官員と公安局の官員は、絶えず家族と親戚の勤務先を脅かして、彼らに圧力を加えた。住宅、電話、携帯などすべてが監視され、親友達から来た電話に出ることまで禁止され、警察の車は住宅の周りで24時間停まっており、行き来する通行人及び訪問者などを監視し、都市全体が戒厳された。
六回の激しい交渉を経て、市委員会幹部が間に立って解決して、六名の警官(関係ある指導者も含む)を行政処分にし、3万5千元(約50万円)の弁償をさせた後、2004年1月8日、錫林浩特市公安局の厳しい監視の下で、呉玉琴の死体は火葬された。
大法弟子・呉玉琴さんの遺児の現状:
呉玉琴さんには子供が5人いる。長女は22歳で、技術専門学校を卒業したが安定した職業がない。次女の薛超は2004年に大連民族学院に入学した。三女の薛霽は2004年に黒竜江鶏西大学に入学した。息子はお母さんが迫害されてから、学校を辞めて、お姉さん達の勉強を支えるために働くことにした。末女は錫林浩特市にある中学校の二年生である。
呉玉琴がなくなってから、やがて夫は再婚した。子供達は誰も父について行きたくないため、五人は互いに寄り添って生活し、母の弟が面倒を見てくれているが、残っている貯金では薛超、薛霽は大学3年の上学期まで勉強することができない。
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/4/1/98612.html)
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2005/4/5/59292.html)
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