日本明慧


“いい加減に日を過ごす”という傾向が現れて考えたこと

 

 文/大法弟子

 【明慧ネット2005年4月19日】法を正す勢いがますます人間界に近づいてくるにつれ、学習者も時間の緊迫性を実感すると同時に、“円満成就”の兆しも見えてきて、師父の要求された三つのことにおいて、さらに努力するようになりました。しかしながら、一部の学習者がそれぞれの生活において、「どうせ円満成就してからは、常人社会とはもうなんの関係もなくなるから、生活においてもぎりぎりやっていけるくらいの金さえあれば用は足りるし、もう会社での進級はしなくてもいいし、これらは私たちもうすぐ円満成就しようとする人間にとって、追及することも時間の無駄に過ぎないから、もうその必要もない」といつも“いい加減に日を過ごす”という考えを持つようになってきました。
 
 以前私もこのように思っていました。しかし日が経つにつれて、これはある種の執着心であることに気づきました。今でも知らず知らずのうちにこのような考え方が出てくるのです。身の回りの学習者たちもこのように認識しているようです。

 それから実際身の回りの学習者たちも比較的貧しい人ばかりで、“金持ち”と呼べる人はいなかったことに気がつきました。「明日円満成就しても、今日はまだ分からないから、会社を興そうと考えていれば、そうすれば良いのです。しかし、全ては私が圓容してあげます。何も考えないでください。やるべきことをやればよいのです」と師父が『2003年カナダバンクーバー法会での説法』でおっしゃっていたように、生活においても、その日暮らしをしてはいけないと思います。すべての法輪功学習者が非常に貧しくなると、常人にも良い印象は与えないし、それに大法を実証するためにも一定の資金による保障が必要だから、私たちも正常な手段で商売をし、会社では昇進する機会があれば、やはり昇進すべきだと思います。学習者たちは生活において相互に助け合い、よい仕事をすべきです。私たちはなんと言っても大法弟子ですから、名利を捨て、何かをするときに努力すれば、きっと常人以上の結果が生み出せるし、収穫も大きいと思います。

 忘れてはならないのは、私たちが大きな商売をするにせよ、高級官吏になったにせよ、それはつまりより多くの常人が私たちと接触する機会が増えるようになり、それは彼らが救われるチャンスでもあり、また私たちが真相を伝えるチャンスでもあるのです。そして私たちの言行のすべてが、彼らに良い影響を与えているではありませんか?

 もちろん、私たちは決して金銭に対して執着心を起こしてはならないし、そのためなすべき三つのことを怠ってもなりません。それと同時に、大法弟子が貧しいのは、旧勢力の按配なのかもしれず、それも必ず否定すべきことです。

 これは個人の見解で、間違いなどの訂正を心からお願いします。


(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/4/19/99858.html

(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2005/4/26/60063.html