日本明慧
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文/佟思雲 【明慧ネット2005年4月17日】過去の自分の体験により、佛・道・神は存在するものであって、生活の中で至るところで私たちを見守り、啓示を与え、そして言動を正してくれている、ということを認識することができました。 1982年7月29日、川のほとりで遊んでいた私は、船のうねりに翻弄されてしまい、水の中を20分も潜ったままでいました。正に命が尽きようとしていたその時、突然目の前に、自分のすべての記憶が蘇ってきて、何の苦痛も感じませんでした。母の同僚が水の中にいた私を探し出した時には、母胎の中にいる胎児の様な姿勢でいたのです。この事の後、「生きることと死ぬこととは、どちらがより難しいのであろうか?なぜ水中を20分間も潜っていたのに、死ななかったのだろうか?」と何度も繰り返しては、思わずにいられなかったのです。 1983年1月8日の夕方、冬の初の大雪のため、道路は大変混雑していた。バスは人ごみのためバス停に近寄れず、道路脇に位置を変えたため、人々が将棋倒しのように自分の方に、押し寄せてきました。バスが止まり、人々が私を囲んだような状態となった時、初めて自分の右足が思うように動かないことに気が付きました。そして、「バスが右足の上を通ったんだ。これではもう一生動かせなくなるかもしれない」という運転手の声が聞こえてきました。急いで病院に行き、人々の不安な気持ちが募る中、医師はとても驚いたような顔を浮かべながら、「皆さんの陳述から診て、彼女の足は100パーセント骨が砕けた状態にあると思っていましたが、検査をしたところ、不思議なことに、半月板の損傷と筋肉の損傷で済んでいます」と言いました。それを聞いて皆もほっとしていました。父が病院に駆けつけてきた時になって、初めて足の痛みを感じました。46日後には、普通に歩けるようになりました。そして、1年半後には完治し、省の高等学校体育運動会の800mリレーに参加して、2位となったのです。 父は、建国前から積極的に仕事をする人でした。また、毎回会社から新築住宅を割り当ててもらうときにも、いつも他の困窮している同僚に譲っていました。退職、病欠入院、葬儀といったことに際し、いつも他人のことを思いやって、他人に迷惑をかけないようにしてきたのでした。共産党の党制が良いと思う人もいますが、父は数十年の歳月、右派として扱われ、文革の時には罵られ、労働教養を受けましたが、依然として本音を話すことを保持してきました。 (中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/4/17/99822.html)
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