中国共産党の対法輪功汚辱の戦いを見る — 第一部
文/明慧評論家方洪
2004年4月アルゼンチンにおける三週間に渡る、ブエノスアイレス国際書展で法輪功の主要著作 "転法輪" は人気を博した。これは南米における最大の書展で、各界の人が興味を示した。2005年1月アルゼンチンでスペイン語の "法輪功"が出版され、全国の大書店で取り扱われている。中国における江沢民によるひどい迫害にもかかわらず、法輪功は国際社会で歓迎された。現在60ヶ国以上の国で、自由に広まっている。法輪功は、世界中の政府や組織から 1,200 以上の褒賞を受けた。法輪功は30種以上の言語に翻訳された。法輪功迫害の主元凶江沢民は、米国、ベルギー、スペイン、ドイツを含む14以上の国にて被告となった。迫害の主要な共犯者、曽慶紅、羅幹、周永康、陳至立、賈慶林等々も外国にて訴訟を受けた。
法輪功の国際上の形勢は、江沢民政権の法輪功の残酷な迫害に対し、鮮明な対比をなす。その差は、中国共産党の無法治意識とその邪悪な本質が、良い例である。
1.教育は思惟形成に主要な役割を果たす
早期教育は、人間の思想と智力の発展形成に重要な影響を与える。インドの "狼に育てられた子" がよく例に上げられる。1920年、二人の女の子、アマラ(2歳)とカマラ(8歳)が狼の巣に居るのが発見された。二人の女の子は狼によって育てられたのだ。肉体的には同年輩の子供達と差は無かったが、心理的活動において大きな差があった。カマラの智力は6ヶ月の嬰児のものに等しかった。彼女の行動の多くは、狼のようであった。服を着るのを嫌がり、着せられるとむしり取るのであった。狼のように這い、日中は暗闇で寝るのだった。夜には遠吠し、うろうろと歩き回った。鋭い臭覚を持ち、食物を求めて鼻をクンクンさせた。生肉を好み、食べる前に肉を地面に置いた。手を使わず、口だけを用いて食べ、野菜は食べなかった。彼女の歯は鋭く、耳は動くことが出来た。四年間の長い訓練と教育の後、彼女は六語だけをようやく学んだ。六年経ってから人間のように歩き始めた。16歳で死亡した時には、彼女の知能は3、4歳の子供のようであった。
異なる教育と環境は、異なる人々の意識と社会心理を造る。狼娘達は、多くの狼性を具えていた。中国では共産党が事実を曲げ、歴史の本を変改した。歴史を通じて共産党は、残酷な無産階級専制政治を行なった。学校から社会に至るまで一代一代の中国人に、政治思想教育と共産党的意識を養った。その意図するところは、人の人間性を党性に替えることにあった。
小学生は、皆赤いスカーフを身に着けることが要求された。彼等は又政治課が必須とされ、このクラスでは、共産党の主義のみが課題であった。生徒達は、共産党が敵と見做すものを、それは時に応じて変るものであったが、批判し、攻撃するよう教えられた。現在敵と見做されるものは、法輪功である。共産党文化によって深く毒された中国人の集団的心理は、正常な人類のものとは大きな差がある。中国人学生が外国で勉強してみて驚くことは、外国では政治や洗脳の課目が無いことである。
西洋の自由社会では、法治や人権意識が深く人心に根付いている。ワシントンDCのある小学校において、五年生の作文の課題が教室の外に貼出された。"苦情を正す為に政府に請願する権利" と書かれていた。その課題の下に貼出された生徒達の作文は、米国憲法によって与えられた市民としての権利の、個人的認識を反映していた。米国の教育は生徒達に法や言論の自由、その他の市民としての権利を、小学生の頃から教えるのである。法の下に人々は皆平等であり、いかなる政党や個人も法律に従うことが必須である、という意識を養う。
共産党の政治的争闘文化の中で成長した人々は、党の政治争闘によってひどく影響されている。多かれ少なかれそのような文化の中で育った人々は "党性"を備えており、言論の自由や法治的精神に欠け、法治観念は非常に薄弱である。彼等は法輪功を含む全てのことを、共産党の色眼鏡をもって分析し、認識する。彼等の行動はしばしば共産党の専制政治と政治争闘を反映する。西洋社会では、人々は法治や信仰、そして言論の自由の精神をもっている。
2.共産党は奇形的政治観念をもって、法輪功学習者の請願する権利を犯す
中国古代において、民間人は上官の駕籠を止めて、上訴することが許された。彼等は又法廷に請願する権利もあった。一千年以上も前の西晋朝においては、晋の武帝は宮廷の外に、"登聞鼓" を設け、人々は鼓を敲いて請願することが許された。人々は中央政府又皇帝本人にも直接請願することが出来た。晋朝に続く多くの王朝もこの習慣に倣った。
1996年光明日報が法輪功を攻撃する記事を掲載した。その後警察が法輪功学習者達を困らせるようになった。1999年4月25日学習者達の群衆が国務院に集まり、不法逮捕や殴打の情況を訴えようとした。学習者達の請願は現代の法治社会において、又中国古代の伝統からも全く許される行動であった。中国憲法第四十一条は、公民が政府を訪れて請願する権利を持つことを明確にする。しかしながら自己中心の権力に溺れた共産党は狂暴になり、平和に請願する法輪功学習者達を"政府を攻囲する"、"政治的"、"そして社会の安定を破壊する" と行って咎めた。
近年来中国政府は"国際的基準をもって先進国と和を保つ" ことを主唱してきた。国際法治社会において、法輪功学習者の請願は自然である。江沢民の法輪功迫害が始まって以来、法輪功学習者達は60数ヵ国にて合法的に請願し、眞相を伝えてきた。一カ国として彼等を悪者扱いした国はない。1999年以来毎年7月に、世界中から数千人の法輪功学習者がホワイトハウスと米国国会議事堂の外に集まり、請願活動を行なう。米国政府は彼等のことを"政治的である" とか "政府を攻囲する" と非難したことはない。地球の反対側では、公安が法輪功学習者達を、天安門広場で白日の下に捉え、殴打する。
本当の法治社会では、法律意識をもつのが普通である。政府に苦情を申し立てることは、合理的であり、合法的である。政府の仕事は市民の権利を保護することにある。政府に苦情を請願することは、とても自然なことであり、決して政治的と見做されることはない。この角度から、法輪功問題は民権であり、法律問題であると見做される。剛直な政治的思惟をもつ中国共産党は、法律問題を政治問題へと歪曲させ、法律を守ることを拒否した。功沢民は "法輪功を扱う時には、法律を講じてはならない" と秘密の命令を出した。彼等は法輪功学習者を"法律違反" と非難しながら、自分は公然と中国憲法に違反した。
中国共産党の長期に渡る政治運動や、党内の醜い権力闘争及び党文化の宣伝は、"政治"という言葉を一つの奇怪な名詞へと変えてしまった。中国共産党は、全ては政治に服務すると主唱し、党員達が政治に興味を示すよう励まし、政治を"偉大、光栄、正しい" と説く一方、他方では普通の市民は、政府から"政治的" と呼ばれれば危険人物と見られ、それは彼等が共産党政権を奪おうとしていることを意味する。これらの人は自然に政府の敵となった。その結果、人々は疫病を避けるように、"政治的"と呼ばれることを避けた。中国共産党は、法輪功学習者の請願する権利を剥奪したのみか、迫害開始以来彼等に "政治的" という帽子をかぶることを強要した。このことは迫害を正当化したばかりか、人々が法輪功学習者を嫌悪し、孤立に導くよう、鼓舞した。
大紀元の特集 "共産党九評" が述べるように、共産党の九大基因の一つは、"騙し" である。流言、偽造、誤解へと導くことは、共産党の本能である。中国共産党は法輪功学習者を最大の敵と見る。法輪功学習者が反迫害行動をとる度に、共産党は彼等を "政治的である"、"社会安定を破壊する" 、"反中国勢力と手を結んでいる" と非難する。党文化に洗脳された中国人は、このような見方や攻撃に自動的に同意する。彼等は無知のうちに、共産党が無実の人を迫害するのを助けているのである。
3.修煉の角度から"政治的である" という問題を見る
共産党文化は、政治的観念をひどく歪曲した。法輪功学習者として、我々は自分に問うべきである、"政治的とは何か?" 政治家は名と利と権力を求める。法輪功修煉の角度から見れば、これらは社会における名利の追求である。それらは本質的に人間の執着心である。法輪功学習者は名利を求めない。逆に修煉は名利への執着を取除くことにある。政治的動機や権力は全く法輪功の原則に反している。本当の修煉者は政治に興味を持つことは決してない。中国の歴史上多くの例があるが、皇帝でさえ皇位を放棄して出家した。
政治的追求は、法輪功修煉の原則に違反することは明らかである。法輪功学習者達は、共産党が言うように国家政権には興味が無く、理想的国家を築こうとする願望も無い。法輪功学習者達は、自分達が政治的ではないと言い続けて来た。法輪功は人々の道徳水準を高めるので、外国では法輪功のことを "スピリチュアルな運動" と呼ぶ。外国では人々は法輪功を政治的であると決めつけることはない。法輪功学習者達は、その原則を実践し続け、決して政治に関与することはしなかった。しかし、何故一部の人は共産党が "法輪功は政治的である" と言うのを信じ続けるのであろうか? そこには幾つかの原因がある。
1.共産党は眞相を人に知らせず、法輪功を中傷する為に "証拠" を偽造する。"政治的" というような偽りで、民衆を攻撃する。一部の民衆は共産党文化に完全に毒され、共産党の言うことを何でも信じる。彼等は盲目的に共産党の全ての見解に同意し、独立的思考能力を完全に失ってしまった。
2.現在の中国社会では、多くの人々は権力を崇拝する。江沢民が法輪功の迫害を始めた時、法輪功が生き延びると信じた人は何人居ただろうか? 共産党の恐怖政治の中で、人々は恐れ、あまりにも騙され、党の力を疑ったり挑戦したりすることはもはやしない。法輪功学習者が政治的追求はしないと繰り返し言っても、多くの人はそれを信じることが出来なかった。深層において共産党は長期的に中国人民に嘘をつき、その道徳的腐敗は、人々に不信感をもたらし、社会風紀を悪化させた。父親が新生児のDNAテストを要求するケースの増加は、その不信感がいかに深いものであるかを反映する。人は愛する者をさえ信用しないのである。一部の人は、誠実というものが存在することをもう信じられない。
3.共産党は中国の伝統的文化を破壊したので、多くの中国人は党文化の中に居て、共産党の歪曲した定義による中国民族文化を見ることしか出来ない。それで彼等は修煉の目的が何であるのか、はっきり理解するのが難しい。法輪功が更に広まるにつれ、更に多くの人が学習者になり、一部の人は(特に知識人が)、力を増した法輪功が、政治と政治的権力に関係することになるのではないかと、心配した。中国人特有の歴史的認識から、彼等は法輪功が将来政治に興味を持つことになるのではないかと考えた。彼等に共産党の嘘を見抜くことは難しかった。法輪功の原則は政治的ではない。法輪功は宗教でもない。だからどうやって " 宗教と政治が合併される" ことになろうか? 法輪功は過去においても、現在においても、将来においても、決して政治的になることはない。
実体の無い恐れから、人々は共産党の法輪功迫害に対し、無関心でいた。彼等は自分達は中立的であると考えているかも知れないが、実際には彼等は迫害者を助けているのである。
4.共産党の争闘哲学は人々に敵対心理をもたらす。彼等は民衆と政府を仲間としてではなく、敵と見る傾向がある。法輪功は政治的ではないが、一部の人の思想は、共産党の政治文化によって形造られ、彼等は政治的な色眼鏡で物事を見る。
(続く)
2005年5月7日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/3/27/98170.html)
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2005/4/18/59760.html)
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