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元軍の幹部である丁翰さんは迫害により死亡(写真)

 【明慧ネット2005年4月19日】遼寧省大連市の大法弟子である丁翰さん(男性、77歳)は、元海軍旅順基地政治部の主任代理、軍の幹部であった。1996年5月から、法輪功の修煉を始めた。

 1999年7月20日、法輪功の迫害が開始されてからと言うもの、大連市老虎タン幹部休養所は、連続して3回も党グループ会議を開き、丁翰さんに高圧的な迫害を加えた。長期にわたり妨害を受け、恐喝されたため、丁翰さんは脳血栓の症状が現れ、1999年11月に死去した。

 以下は、1999年3月大連市の大法交流会における丁翰さんの修煉体験発表である。

 老夫婦は幸運にも修煉の道を歩み出す

 私は、丁翰と申します。今年77歳になります。妻は楊竟と言い、今年67歳です。私は海軍大連老虎タン幹部休養所の退役幹部です。1940年に仕事に就き、“文化大革命”の時、中国文化部の映画染印法協同組合組長を担当していました。その後江青、王洪文などに摘発され、3年余り監禁されました。家内と家族も巻き添えとなり、迫害を受けてきました。半生は苦難に満ち、退役しても、いくつかの納得いかない問題に悩んでおり、常に憤懣と怒りや恨み、不平などに付き纏われてきました。そのため、私と家内は、いろいろな病気を患い、毎日つらくて、薬を飲み続け、毎年入退院を繰り返してきました。

 1996年5月、私たちは、縁があり、李先生の高徳な大法を得、修煉の道を歩みました。絶えず法を勉強し、だんだん心の容量も大きくなり、物事を考える方法と世界観は変わり、浄土に入ったように感じました。心の底から、心が浄化された楽を実感しました。師父が、法を伝え人間を救い済度するのは、まっすぐに人間の心を目指しています。弟子は心さえ変え宇宙の特性に同化すれば、心性が昇華されます。修煉を深く行なうにつれ、私たちはだんだん一つの理を分かってきました:私たちこの一生は法を得るためなのだ!今までの十数年は、争ったり、苦しんだり悩んだりして、皆、またたく間に消え去ってしまいます。法輪大法は私たちの心のしこりを解いてくれました。大法の影響により、私たちの心は震撼され、心に圧迫を感じなくなりました。私たちは、怒り恨む心を放下し、だんだん新生に向かって行っています。

 法を得てから、私は相前後2回もセメントの床に転びました。2回も後頭部が先に床にぶつかり、大きな音がしました。でも体には少しも異常がありませんでした。逆に頭がもっとはっきりしました。前は文章を書く時、連続して2時間書いたら疲れ果てたが、今一気に3時間書いても疲れを感じません。

 家内は頭蓋骨に損傷(6X6CM)があり、28年も続いていました。煉功して一年ぐらい経ったら、損傷箇所に取り付けていた有機ガラスが頭の皮膚から出てきました。有機ガラスを取り出す過程において、医学では解釈できない奇異な現象が起きました。

 この一つ一つの身に起きた奇跡は、法輪大法の威力を感じさせました。これは、玄妙かつ超常的な科学が私たちの体においての現れです。今、私と家内は、元気いっぱいで、長距離を歩いても疲れませんし、何を食べても美味しく感じ、ぐっすり眠ることもできます。修煉して二年来、薬を飲んでいませんし、注射もしていません。まるで柳暗花明また一村のようです。

 師父は私たちに、2回目の命をくださいました。私たちは、この千載一遇の機縁を大切にします。私たちは法を得ましたが、もっと多くの縁のある人にも法を得させたいと思います。私たちは、療養に行く時、帰省の時、昔の戦友の集まりの時などいろんな機会を介して、法輪大法を広く伝えてきました。師父の大きな威徳により、多くの人も法を得、法輪大法を知ることができました。彼らの中には、軍の司令官、兵団の政治委員、艦隊の政治委員、基地の司令官、集団軍長、昔の戦友の家族などがいますし、私たちの親戚と昔の部下もいます。

 今、私の家で法を勉強するサークルを形成し、20数名の新しく修煉を始めた弟子と一緒に法を勉強しています。それを自分の本分とし、とても嬉しく感じております。

 大法は果てがありません。私たちは、師父が導いた修煉の道に沿って、断固として、円満まで歩み続けたいと思います。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/4/19/99958.html

(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2005/4/25/60035.html