日本明慧


常に精進し・絶えず自分を突破する

 文/大陸大法弟子

 【明慧ネット5月9日】最近、学習者との交流の中で、心性についての話題よりも、事務的な話題が多い。自分を強調するが、全体の協調を無視しがちである。自分自身に存在する問題よりも、他人の問題や外部の問題を強調し、うちに向かって探さないなどの問題を発見した。

 たとえば真相を伝えるとき、人々が聞かない、家族が妨害してくるなどと強調するが、自分自身に対する反省がまったく見られない。『九評』を一通り見てもいないのに、常人に伝えることはできない。常人の情に動かされ、外界の環境に影響され、精進しない学習者は、三つのことをやっているが、いつも次元を高めることができなく、元の次元をいつもさまよい、身体が病気になったような現われから抜け出せない。いったいなぜだろうか?ここでこの問題について自分の考えを紹介しておきたいと思う。

 一、自分に厳格に要求すること
 法を正す時期の大法弟子として、修練に手本はない。すべての人は自分の道を歩むしかない。大法の修煉形式は非常に緩やかで、師父も私たちに必ずこうしろと要求したことが一度もない。そのためすべては大法をもって自分の言動を要求しなければならない。それならこの種の外に向かって求め、無感動で、現状に満足し精進しない状態は、党文化のもたらした状態ではないだろうか?すでに服従することになれ、その上現状において邪悪はもうほとんどないと思って、修煉をなおざりにすることで、旧宇宙の妨害要素及び邪悪に隙に乗じられることになったのである。必ず党の要素を取り除き、自分で自分をコントロールしなければならない。

 二、絶えず自分を突破し、常に精進すること
 
 修煉する者は決して現状に満足してはならない。三つのことをやっているから、もう大丈夫だと思ってはいけない。三つのことはやっているが、本当に法が異なる次元における私たちへの要求に符合しているだろか?できない者、自分より劣るものと比べ、やっているという現状に満足したら、自分を閉鎖することになる。満足する瞬間から、すでに停滞し、あるいは落ちていくとも言える。

 ある日快速電車が私の乗っている各停電車の横を過ぎたとき、同じ方向に向けて走っているが、快速電車を基準とすると、自分は後ろに下がって行く感じがした。そこで私ははっと気づいた。法を正す勢いはまさにその快速電車のように、私の乗っている電車も進んでいるが、その快速電車と比べると、後ろに向かって進んでいるともいえる。つまり法の正す勢いに追いついていないことになる。そのため修煉するとき、必ず常に自分の不足を見つけ出し、今いる次元を恋しく思ってはならない。その上どの次元の中で陶酔してもならない。その次元がどれほど良いと感じていようと、再び自分のレベルを上げると、その次元にはたくさんの正しくない要素、良くない人心があることに気づくだろう。だからいかなる状況の下でも、いかなる環境であっても、何があろうと、自分に対する評価はどうであれ、自分を修める要素は必ず常にある。毎回の修煉の機縁を大事にしてください。衆生を救い済度し、一切の邪悪な要素を取り除かねばならない。


(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/5/9/101468.html