日本明慧


天津の学習者・李良さん釈放への呼びかけ

 
 文/シドニーの学習者

 【明慧ネット2004年10月8日】天津からシドニーに来た法輪功学習者・李迎さんの弟である李良さんが、2004年10月2日中国天津で不法に逮捕されてからというもの、オーストラリアの法輪功学習者らは緊急救援活動を行ってきました。10月5日の昼、シドニーの学習者らは、中国領事館前で記者会見を開き、李良さんを直ちに釈放することを呼びかけました。

横断幕 シドニーの法輪功スポークスマンデビッドさんの演説。左側は李迎さん

 *李良さん迫害の詳細

 李迎さんは、弟が中国で逮捕された具体的な状況を話しました。李良さんは、10月2日午後3時前に失踪しました。事件にかかわりがある警官は、天津河北区公安支局国保支隊の宋暁昇(あるいは宋暁生)と劉広涛です。彼らは管轄区を超えて李良さんの居住地に来て、河東区和平村派出所の戸籍管理官の耿涛、陳青、と住民委員会の劉玉英らの協力を得て、李良さんの高齢な両親の目の前で家財を差し押さえ、3冊の《転法輪》、その他の法輪大法の資料と1冊の住所録を没収しました。住民委員会の劉玉英は、家財を差し押さえる証人として、“天津市公安局差し押さえ物品明細書”に署名し、国保支隊の劉広涛、宋暁は“引受人”に署名しました。

             天津市公安局差し押さえ物品明細書          

 10月3日の午前から、シドニーの法輪功学習者らは、休むことなくこの件にかかわりのある人に電話をかけて真相を話しました。河北区公安分局で、その日の日中の当番だった警官、王姓は劉广涛と宋暁升が、そこの人だと認めました。しかし、さらに多くの法輪功学習者たちが電話をかけるにつれて、夜になると受話器をとった警官は「間違い電話だ。劉广涛と宋暁升はいない」と言い出しました。河東区公安分局の当日の日中の当番だった警官は、耿涛が10月2日の当番だったと認めました。

 中国の法律によると、人を逮捕した後24時間以内に、必ず身内に連絡をしなければなりません。しかし10月3日午後、李良さんが逮捕されてから24時間を過ぎても、天津警察本部は李良さんの消息に関する連絡をしませんでした。差し押さえ物品明細書以外に、何の手続きもありませんでした。天津市公安局の連絡を怠った警官は、午後に「特別な状況下では、身内に連絡しなくても構わない」と言いました。その夜、李迎さんが「特別な状況下とはどういうことですか?あなた方は(法輪功学習者に対して)逮捕したければ逮捕し、殴りたければ殴り、特別な状況と言って、言い逃れをするのですか!?」と言うと、警官は黙り込んでしまいました。

 住民委員会は李良さんの母を脅し、外の組織および個人に“不確かな消息”を伝えてはならないと言いました。李さんのお母さんは、「何の組織のことを言っているのかは分かりませんが、娘の李迎は外国にいて、弟の安否をとても気にしています。私はもちろん娘に息子の居場所を教えますよ。相手は『不確かな消息を流したならば、処罰する』と言いました。私が話すのはすべて真実ですよと答えると、相手は何も言えませんでした」と言いました。

 北京時間の10月3日午後4,5時前後、李さんのお母さんが、天津市河北区望海楼派出所に李良さんを返してもらいに行ったところ、劉世偉、楊建の二名の警官は「拘留証明書ができ、ちょうどそれを家に送ろうとしているところだ」と言い、「拘留時間は10月3日の朝10時55分から計算し、24時間以内に身内に連絡しないといけないという法律には、違反していないと懸命に説明しました。しかし実際には、10月2日午後3時前に逮捕されているのです。二名の警官は、李さんのお母さんに拘留証明書にサインするように言い、サインしないと翌日李良さんに衣服を渡さないと言いました。北の地方の日に日に寒くなる天気を考え、また、李良さんは十分に衣服がなかったので、李さんのお母さんはサインしました。

逮捕の翌日から拘留時間を計算し始めている拘留証明書

 李さんのお母さんも、法輪功の修煉を理由に2000年8月29日から9月29日までの一ヶ月間、天津市公安四課によって、天津市第一留置場に入れられました。しかし、留置場を出る際にもらった書類には、拘留期間15日と書かれており、“認証”を書くようにされました。彼女は「それでは、この(残りの)16日間はどうなるのですか?この16日間の経過について、どう書けばいいのですか?この16日間をどのようにして世の人々に伝えたらいいのですか?どんなに考えても、分からせなくするのはあなた達です!」と書きました。この“認証”の原文も、劉广涛と宋暁升によって改ざんされてしまいました。

 10月4日、李さんのお母さんは衣服を届けましたが、警官は面会を許しませんでした。

 *真相を話し、邪悪を暴露する

 これと同時に、シドニーの法輪功学習者たちは次々と天津公安局に電話しました。ある70歳近い学習者も、天津公安局に電話をかけました。受話器をとった警官は最初から最後まで法輪功の真相を聞き、「法輪功は幻想的なのだ」といった以外、何も言えませんでした。この学習者は「法輪功はもっとも現実的ですよ。今の医療費はとても高く、負担できる人はほとんどいません。民衆は病気を治療するお金が足りないから、修煉で体を鍛え、良い人になろうとしているのに、それさえあなた達は許しません。私は昔どんな薬だって飲んだことがあります。でも法輪功以外は、何の薬も私の病気を治せませんでした。結局何が幻想的で、何が現実的だと思いますか?」と言い、続けてさらに多くの真相を話しました。法輪大法の海外での広まりから、文化大革命のときの後から来た結末まで、かなり長い時間話しました。相手は「何か具体的な要求はありますか?」とたずねました。学習者は言いました。「まずは李良さんを釈放してください!そしてすべての法輪功学習者を釈放してください!法輪功に対して善意を持って接してください・・・」相手はずっと静かに聴いていました。

 劉玉英の住民委員会(電話番号022 26418379)は、10月3日に海外の学習者からの電話を受けたとき、ヒステリックに法輪功を罵りました。しかし4日になってさらに多くの電話が入ってくると、ヒステリックは収まり、ひたすら「これは個人の電話だ」といいました。学習者は言いました。「誰の電話でもいいですよ。電話をとったということは縁があるということです。真相を教えてあげましょう・・・、住民委員会の人にも教えてあげてください・・・」

 ある司法関係の女性官員が電話を受け取ったとき、天津の迫害の情況について聞くととても驚き、「そんなことは全然知りませんでした」と言いました。学習者は全面的に真相を話しました。すると最後に彼女は、「分かりました。ありがとうございました。あなた達のために宣伝しますよ!」と言いました。

 *さらに多くの不法拘留事件

 今回の李良さんの拘留事件は、建国記念日の期間中に起きた数多くの不法拘留事件の氷山の一角に過ぎません。

 2004年9月29日、日本の法輪功学習者の親戚である王同春さんが、他の学習者らと共に北京へ行く途中、吉林省の松原市をまだ出ていないうちに、松原油田公安分局国保大隊の警官に逮捕され、殴られました。警察はさらに彼ら7人を松原市善友留置場に送り、王同春さんの自宅を荒らし、松原油田松江分局は拘留通知書を送りました。

 2004年10月1日、建国記念日の昼、北京の天安門広場で、警官が法輪功学習者を殴打し逮捕する事件が再び起き、多くの民衆がこの暴行を目撃しました。

李迎さんが事件の経過を話す 西洋の学習者が2004年10月1日の天安門広場での暴力事件について話す


(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2004/10/8/86090.html

(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2004/10/9/53307.html