河北の雄県の閻海波は610オフィス、警察と保定の強制労働収容所に迫害され死亡した
【明慧ネット2005年4月22日】河北の雄県の張崗郷韓荘村の法輪功の学習者の閻海波は何度も上京して、法輪功の真相を説明したため、何度も迫害を被ってしまった。2002年七月に、閻海波は雄県警察局まで引っ張られた後酷刑を受け、重傷を負い、二年半の不法に強制労働をされ、保定の強制労働収容所で酷い迫害を受け続け、2005年三月三十一日に冤罪が晴れないまま、33歳で亡くなってしまった。
法輪功を修煉する前は、閻海波は腰の椎骨が突き出て、リュ一マチ、足の痛み、水腫をしていたが、修煉した後、薬なしでいろいろな病気が治り、健康が回復した。心身を受益した閻海波は自らで法輪功の不思議と美妙を感じていた。しかし、五か月修煉した、99年七月二十日、江××の政治のやくざグル一プは国と政府を利用して、法輪功を鎮圧し迫害し始めた。閻海波は上京して、政府に自らの受益した状況と法輪功の美妙を説明したのに、不法に護送されて雄県に戻されて、三日も不法に拘禁された。後七月二十七日、又上京して、二十八日雄県に戻されて、雄県の警察と政治、法律人員に五千元をゆすり取られて、十五日も不法に拘禁されて、保釈され審問を待った。
99年十月に、江××グル一プは法輪功を「×教」に決めた。そのため、閻海波は又上京して、後は不法に雄県の留置場で六か月も迫害された。釈放された時、警察局はいわゆる「保証金」の三千元を請求した。家に戻った後、閻海波は現地の政治、法律人員に何度も掻き乱された。
2000年七月末、閻海波は友達の家で法輪功の気功を行っていた時、悪人に告発されて、不法な人員に雄県の警察局まで捕まえられて、残虐な体刑を受けた。その時の政治課の課長の楊小同といくつかの凶悪な警察は二十四時間閻海波をめった打ちにした。閻海波は重傷を受けて、二年半に不法な労働による再教育をされた。
体が悪い閻海波は、保定の強制労働収容所で精神を絶滅して洗脳を強制されて、不法な人員に法輪功の学習を放棄することを強制された。心身はとても大きなストレスを受けた閻海波は、体がいつも調子が悪くて、手足がだるい。
目撃証言者の陳述によると、2003年七月に、保定の強制労働収容所の凶悪な警察は不法な官員の命令によって、不法に拘禁された法輪功の学習者をいわゆる「心理テスト」に参加させて、洗脳の状況を見た。テストの前に、凶悪な警察と根性がゆがんでいるユダたちは一斉に出動して、みんなを恐喝したり、それぞれの人に脅迫したりした。回答に満足を得ていない官員たちは、半月警察たちが家に帰ることを許さなかった。だから警察は法輪功の学習者に昼夜を問わず迫害し、更に迫害した。先に洗脳をして、洗脳に失敗したら、めった打ちにした。前後は三十数人を立たせること、めった打ちにすること、棒の刑、電気で処刑することをやって、二人の法輪功の学習者を長期にわたり吊るしていた。(一か月続いていた)
2004年十月二十一日、ようやく地獄のような強制労働の生活を終えた閻海波は、保釈されて家に帰った。しかし、釈放されて家に帰ったばかりの六日目、又雄県の610に無理に捕まえられて、雄県の「洗脳クラス」で迫害され続けて、六日間不法に拘禁されて、保証書を書くことを強制された後に釈放された。その以後閻海波は時々手足がだるくて、顔色が悪くて弱々しくなった。こんな恐ろしい高圧の下に、閻海波の精神が再起不能になって、正常に法輪功を学習することができなくなり、ほとんど法輪功を放棄した。
2005年二月末、海波は体が悪くなり、北京の大きい病院に行って検査したら、腎臓衰弱、脳の水腫、眼底出血などの病症が確認され、もう治療のしようがなかった。2005年三月三十一日に冤罪が晴れないまま、33歳で亡くなってしまった。
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/4/22/100206.html)
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2005/5/4/60314.html)
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