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江沢民訴訟案の弁護士がシンガポールでの人権侵害裁判を譴責

 文/朱婉琪

 【明慧ネット2005年5月6日】シンガポール法輪功団体は1996年に登記して以来、“真・善・忍”の仏法をもって人々に善良な人になるように教え、道徳を高上させるのを促したことで、大変高く評価されている。しかし1999年7月以後、江沢民をはじめとする中国共産党員が中国で法輪功に対して行った残酷な弾圧に続いて、警察が権力を通して法輪功を制限し、あるいは法律上手続きをするにあたりいかなる疑わしいところが無いにもかかわらず身体検査を行い、公共の場の使用を禁止し、ひいては法輪功学習者が公民あるいは永久居住民への申請を拒絶し、中国共産党が法輪功に対して行った弾圧に関する真相資料の没収など、シンガポールまでもがこの合法的な登記を持つ団体の活動及びそのメンバーに対して不公平な扱いをするようになった。ヨガ、他種の気功の活動への妨害が全くないことに対して、法輪功はただその“信仰”のためにシンガポール政府の差別扱いを受けるようになった。

 シンガポール学習者の団体煉功および交流会の催しに際して、以前は許可を申請するように強制されることは無かったのに対し、公然と権力を振りかざし法輪功団体への差別を始めたのは、中国共産党の法輪功弾圧以降のことである。完全に中国共産党の政治力及び経済力に屈服してきたシンガポールの法輪功団体への差別は、ますます過激さを増す一方である。

 シンガポールが中国共産党の意思で法輪功を弾圧する為に、最も実行されやすい道具とは、警察に与えられた独善の所轄権限及び行政批准(permit, license and certification)の裁量権である。「公共秩序及び公害法」(MISCELLANEOUS OFFENCES (PUBLIC ORDER AND NUISANCE) ACT)、映画法(Film Act)などの法律は、人民に賦与された言論の自由、集会・結社の権利及び信教自由の権利を制限するのに利用されるケースが多々ある。警察は憲法によって賦与された権利を制限するために「公共秩序」(public order)、公共健康(public health)、道徳(morality)などといったあいまいな法律概念をみだりに利用することで、裁量権を自由に行使し、人民の言論、集会・結社、信教の自由を制限することができる。憲法が人民に権利を賦与すると同時に、また政府にも人民の権利を“制限”するための“正当性”を賦与することになった。そのため実際のところ、シンガポール政府はこの“制限”という権力を行使することで、公民の権利を自由に剥奪することができる。そのため政府を相手に起訴し、公平な救済を得ることは、現実では絶対にありえないことである。もはや“法律のよりどころ”から“政府のよりどころ”となったシンガポールの法律の濫用は、国際社会周知の通りである。

 中国共産党が法輪功に対する弾圧及び法輪功団体の活動に対する差別は、2005年4月27日にシンガポールの裁判所が二名の法輪功学習者に対しておこなった刑事判決で鮮明に反映された。2003年2月23日に公園で二人の法輪功学習者が、民衆に対し法輪功が中国で弾圧されているという真相説明及び法輪功の功法を伝えたことを理由として、シンガポール警察は2004年5月、“申請許可のない非合法的な集会”として、また“許可されていないディスクを所有かつ郵送する”などの8つの罪状で提訴した。およそ1年の審理を経た末、2005年4月27日に、二人はそれぞれ24000ドル及び20000ドルの罰金刑が言い渡された。二名の学習者はこの判決を拒絶する旨を示したが、その日の午後6時に女子監獄に送致された。収容されている間、学習者の家族は非常に大きな圧力の下で、罰金を納付した。二人の学習者は5月3日に釈放されたが、今後も上訴する予定である。

 122ページにわたる判決文の中で、裁判官は被告に賦与された権利を考慮することなく、ただ被告が“法によって”“集会”及びディスクを配布する許可を取ったのかを判断するだけであった。しかし判決文の中では、なぜ法輪功学習者の煉功する場所が異なることで、他と異なる扱いをされるのか、なぜ公然と煉功する法輪功は“集会”とみなされ、ヨガが“集会”とみなされないのか、なぜ中国共産党が法輪功弾圧を始める前には、同じ場所で煉功していても“集会”の許可を申請せずにすんだのに、中国共産党による弾圧が始まった後では、法輪功を煉功することが“集会”とみなされるようになったのか書かれていない。このような異なる基準は、明らかに法輪功への差別である。検察、警察は別にしても、裁判官までが判決文の中でこれを無視するとは、実に嘆かわしいばかりである。

 許可なしのディスクを配布したという点についても、被告が実際無許可ディスクを所持し、配布したという事実を立証するための証拠が不十分にもかかわらず、裁判官は被告の供述を無視し、早々と判決を下したことも、実に疑わしいといわざるを得ない。

 判決文の中で、裁判官は終始警察は自分たちの基準で権利を実行できると主張するが、憲法により賦与された公民の権利を、裁判所が“異なる二重の基準”で“許可を与えるとか、あるいは許可を申請する必要があるとか”決定の意思を警察に委ねるのは、実に理解に苦しむことである。警察の都合だけで公民の権利であるか否かを決定することは、独裁政治の特色ではないか。また、被告の憲法上の権利を考慮しないのは、憲法におけるこれらの権利は絶対的でないためだと判決文で書かれているが、実際憲法によって賦与される権利の制限は、ただひたすら基本的な立法の趣旨及び法律の解釈を無視するものでもなく、政府による意図的な権利の濫用で人民の権利を制限するものでもない!

 特に「これは中国での迫害だ、中国人だけの問題だから、私たちはこれには興味がないし、中国での迫害は今回の訴訟案とは何の関係もない」という裁判官の発言には言葉を失う。法輪功は全世界30カ国で、江沢民政権の弾圧、虐殺行為を告訴し、すでに国際的な人権訴訟を起こしている。米国司法部が江沢民訴訟の際に、司法免除権を主張する2004年シカゴ巡回法廷のときでも、司法部弁護士が裁判官に対する最初の言葉とは「米国政府は中国共産党が法輪功に対しておこなう迫害は非常に重大な状態にあるのを知っている。また法輪功に対して同情する」と述べた。たとえ免除権を求める司法部門でさえも、法輪功団体が長年に中国共産党から受けてきた迫害に対して同情を示すのに、今回直接関連している“法輪功が迫害されている真相ディスクの配布”にかかわる訴訟は言うまでもない。私たちは法廷の基本的人権を無視した態度、及び公民の権利を無視する判決に対して、厳しく譴責する!

 新国裁判所は判決の中で“二重あるいは数重の基準”で、法律解釈の制限を越えるまで、被告に不利な判決を下すことを肯定することは、法律の人間への侮辱だといわざるを得ない。そのため、私たちは英国弁護士公会及び国際的な人権組織に今回の不公正な裁判に関心を寄せるように求める。国際社会は司法正義を擁護する義務があり、中国領土以外の国家が、中国共産党がおこなう法輪功学習者に対する人権侵害は必ず防止しなければならない。

 さらに、私たちはシンガポール政府に進言したい:“二国一制”はシンガポール人民の選択ではない。シンガポール政府が法輪功を攻撃することで中国共産党の歓心を買うのは自殺行為に等しい。残された機会はもう少ない。決して中国共産党のため、自分たちの人民及び国家の未来を破滅させてはいけない!

(『シンガポールが法輪功に対する迫害への調査報告』をごらんになるには、こちらを参照してください:
http://www.zhuichaguoji.org/cn/index2.php?option=content&task=view&id=481)

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/5/6/101269.html

(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2005/5/20/60983.html