日本明慧
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文/寒梅 【明慧ネット2005年4月21日】私は1999年2月(当時41歳)に法を得ました。五ヵ月の集団修煉は本当に幸せでした。心身共にいまだかつてなかった変化が現れ、いろんな病気が消えていき、体は歩く時とても軽く、元気も倍増してきました。これらのすべてから私は大法の不思議さを感じました。その時、大法こそ私が追求したもの、私の落ち着き先だと思い、自分が大法弟子になったことを心より誇りに思いました。1999年7月20日に迫害が始まると、私は集団修煉の環境を失い、物寂しい気持ちは言葉で表すことができませんでした。然し、マスコミがどんなにデマを流しても、私の師父や大法に対する固い信念は動揺したことはありません。 法を証明した五年間を振り向いて見ると、困難で満ちていましたが、私の心には師父がおいでになり、法があったので、落ち着いた足並みで同修らと共に手を繋いで歩いてくることができました。最も忘れられないことは、2004年9月4日のことでした。私は突然東北に住んでいる母が膀胱癌を患っていて、既に末期と言うことを聞きました。私はとても気が重く感じました。母は既に1997年に法を得ていましたが、邪悪な弾圧が始まると、着実に修煉し続けることができませんでした。今は既に75歳です。これらを聞き、私の涙は止まりませんでした。私はすぐこう意識しました。「私は修煉者だ。どんなことに遭っても、冷静を保ち、正念で対しないといけない。」こうして、私は素早く冷静になり、自分が行なうべきことが分り、母に会いに行くことを決めました。出発する前に、同修らは私に正念を持って、正しく行なうよう指摘してくれ、皆で私のために正念を発してくれました。同修らの助けがあって、私の正念は更に大きくなりました。道中で私はずっと『洪吟』を暗記し、正念を発し、チャンスを掴んで、周りの人たちに真相を伝えました。 母に会った時、彼女は既にとてもやつれていて、しかも大量に血尿していて、薬を飲んでいました。これらに直面して、私は執着せず、また結果も考えませんでした。只自分が大法弟子であり、自分の責任は大法を証明し、衆生を救い済度することだけを念頭に置いていました。私は自分がやるべきことを行い、母に親孝行をすると共に、彼女を同修として対し、彼女の正念を啓発し、彼女に常に法に基づいて行動するように伝えました。また自分を真に修煉する人と見なし、師父を固く信じ、大法を固く信じるように伝えました。私はまた母親と共に法を学び、煉功し、正念を発しました。 3日目に、母は目に感激の涙を浮かべて、私達姉妹に告げました:師父が彼女の体を調整していて、座禅すると法輪が彼女の周りを回っていて、自分の感覚も大部良くなった、と。 一週間が経って、長兄が手術の時間を決めようとした時、私達は誰も声を出しませんでした。医者がかつて手術は危険がとても大きく、手術を行なうと死亡の可能性があり、死亡しないとしても、今後ずっと尿袋を使う生活をしないといけないと私達に告げました。私は母親を見ました。すべては母親が決めることでした。その時、母は平然として「私は大法弟子だ。私は自分のすべてを師父に手渡し、大法に手渡しました。手術はしない」と言いました。長兄は半信半疑で、「これで良いですか」と聞きました。私は、「師父を固く信じ、法を固く信じれば、大法にできないことは何もない」と答えました。 こうして母は引続き法を勉強し、煉功し、正念を発して、体調はますます良くなりました。私達の姉妹は大法の不思議さを自ら見て、みな母と一緒に煉功し始めました。私が電話でこのことを次兄と次兄の嫁に告げると、彼らは嬉しくて一緒に家に戻り、『転法輪』を6冊持ってきました。 一ヶ月の時間は瞬く間に経ちました。母の病気は無くなりました。親戚らもみな法を得ました。母はまたすべての機会を利用して人々に真相を伝えました。これらはすべて師父の慈悲であり、大法の偉大な威力でした。 (中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/4/21/100176.html) (英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2005/5/4/60313.html)
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