日本明慧


「名」を淡白にする

 【明慧ネット2005年6月8日】最近、私は自分が事をするのに落ち着いていないと感じ、そして、着実に小さいことを行いたいといつも思う。頭の中で、苦役労働者になる、大石を運ぶ、農民みたいに「厳しい日差しを突いていて田畑で仕事をする、或いは、おばさん達みたいに横断幕を広げ、資料を配る」など頭を使わないことが浮かんできた。

 非理想状態だとかすかに感じるが、ちょっと「名」を淡白にしたと感じた。が、実はそうでもなかった。よく考えてみると、自暴自棄の部分がある。なにもうまく行われてないように感じたとき、まず自分が自分に対して満足していない。そして、自分があまりに平凡だと思い、少しも美点、長所がない、もっとはっきり言うと、「名」を楽しむ資格もない。常人の言葉で言うと——人生はこのように苦難に満ちている、山に入って修道するほうがいい。自分に一つの便利な逃げ隠れる法門を探し当てる。

 「名」を淡白にするのは放棄するのではない。名利の中で、ほめたたえる声の中で名利に動じないのはこの面で実質的に高めることだ。逆に言うと名利心の大暴露だ。
一人の大法修煉者にとっては、いかなる状況下であれ嬉しそうに落ち着いて前へ進むのは比較的によい状態でしょう。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/6/8/103496.html