家具の発展史から、中国の修練文化を見る
【明慧ネット2005年6月9日】今日、私たちは多様多種な椅子、またはインテリア、多様なデザインのベッドがありそれを使用しています。しかし古代の人はそのようなこだわりがなく、直接に床に座り生活し、眠っていたことをご存知でしょうか?
はるか先史時代の人は、床に座るために使うもの…「席」を作りました。そして、これに使ういろいろな木材:木案、板、木机等を発明したことによって、低型の家具の原型となりました。春秋戦国時代の現在最も古いベッド(低型)が、それ以降のベッド作りの手本とされました。魏晋南北朝時代は、古代家具の発展時期で、非常に重要な成長期で、両漢はそれを伝承し、隋唐に広がりました。そのとき少数民族による高型の椅子:胡床が世に出ました。こうして、歴史の変遷において、高くなった丸型や角型の椅子などが次々と現れました。ベッド、畳などもだんだんと高くなって、腰を降ろして座ることもできるようになってきました。しかし、基本的に低型家具を中心とした生活は変わりませんでした。隋唐時期は、中国の典型的な床での生活様式から座席での生活習慣に進化する成長期で、高型の家具を出始めており、上流社会に使用されるようになりました。この時期は、すなわち高型と低型の家具が現れた時代でした。宋代まで、高型のベッド、机、椅子、器具などが民間に広がったため、幾千年の伝統習慣は終焉に終わりました。宋代は、中国の家具の発展史の中で、最も輝いた時代であるし、さらに明清時代の家具の発展にも大きな影響を与えました。
中国古代の家具の変遷から見ると、床での生活から座席での生活までの変化は、宋代以降約一千年経ちました。とはいえ、古代の人が、高く座りたいという考えはなかったと言えなかったのでしょうか? 宋代の沈括が著作の『夢溪筆談』の中に記載したところによると、中国古代の科学の進歩と発明は、現代人でも及ばないものがあることがわかりました。胡床の出現がないと、腰を降ろして椅子に座ることが決してないとは言えないでしょう。実は、古代の皇帝は、広成子という人に求道することをはじめ、悠久の中国歴史の文化がまさに修練に基づいた文化であることがわかりした。当時は、座禅し、字を書くときに息を整え、各仕事では心を修め、息を調節することが重んじられ、社会全体がこのような修練環境になっていたことがあります。中華民族における修練の歴史を探れば、道家の盛衰と椅子の出現とは、微妙に類似しているように見えます。当時胡床が魏晋時代に流行っていたとき、ちょうど道家は儒家の孝道を盛んに提唱していることで道家の真意に背いたときと同時期でした。(ここでは、儒家を貶しているという意味ではなく、道家の修練に孝道という内容はなかったということを言っています。)したがって、その時代の修練者は、世を離れ、深山に入って修練に精進するという現象が現れました。椅子、腰掛けなどの導入を始めたとともに、世の中では真の修練者が受け入れられなくなった時代になりました。三教合流ということは、すでにそうならなければならない状況にあって、孔子の教えを乱した朱子学がもはや中国人の中心的な思想となりました。同時、民間での修練の気風もすっかり消えてしまいました。
床での生活から座席での生活まで、まるで文明の進歩を代表しているように見えますが、よく考えてみると、まさに人類の思想、道徳は正道からずれはじめ、変異に向かう証となってしまいました。
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/6/9/103219.html)
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