一週間しっかりと煉功学法しなかった反省
文/米国大法弟子
【明慧ネット2005年6月21日】この数年私はずっと毎日少なくとも一講を法を学んでいた。先週、初めて一週間あまり学法、煉功しなかった。ここでみなさんに書いて私の戒めとします。
一週間前の金曜日、私は突然遠地へ一つの緊急の項目を完成することになった。その後の一週間、私は目が覚めるとメール処理や緊急の仕事をしていて、その後大部分の時間はその項目をしていた。一週間ずっと時間を間に合わせるように、疲れて眠いときにも続けて仕事をやっていた。一週間以来『転法輪』はただ二講しか勉強しなかった、煉功はぜんぜんしなかった。家に帰って、本当に後悔した。以下は私が後で考えたことです。
学法と煉功は師父が大法弟子に対する基本の要求だ。法を勉強しないと大法弟子でなくなる。師父は言われた、大法の門は開け放ち、ただ人心だけをみる。だから誰でも修煉できる。逆に言うと、誰でも自由に離れられる、人を閉じ込める門はない。
常人社会のいかなる形式も一人の学習者が必ず大法の中にいるということを保証できない。佛学会の責任者でもいい、ある項目の責任者でもいい、小範囲で師父と一緒にいられても、みな無用だ。ある文章で書かれた、早期師父の周りにいた人が法を破壊したことがあった。師父は慈悲だから、ずっとすべての人に機会を与え、甚だしきに至っては破壊をしにくる人を含む。一人の修煉状態がどうか、甚だしきに至っては修煉しているかいないか、他の人がすべて見てとれるとは限らない。破壊しないと、誰が煉功点に来ても、真相を伝える項目をやっても追い出すことはない。
海外の大法弟子はたくさんの項目をした。その中の一部は常人の先端レベルの技能が必要で、多くの学習者も色々と苦労した。しかし私達の項目は正法の中での効果は私達の常人の技能と時間、体力の代価だけではない。この面ではパソコン技術は、特に表に現れ惑わされやすく、自分の能力と努力でできたと感じてしまう。
私達が本当に真相を伝える項目に代価を払いたいなら、最も素晴らしいものを出そう。それは私達の最も素晴らしいもの、常人の中の技能ではなく、大法弟子として、師父の話に従い、正念を修め出すことである。
ついでに煉功のことについて話す。海外の大法弟子の多くは煉功が少ない。師父は、後で補充できると言われた、或るいは短期間に煉る時間がない場合の話を言われたが、煉功する必要はないという話は絶対言われていない。ある学習者は言い訳をして、他人と比べることはただ自分を騙すだけである。私は法について言えないが、師父の話に従い、煉功するべきである。よく煉功すると身体もよくなる。
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/6/21/104535.html)
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