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遼寧省錦州市の李凌さんは、迫害により死亡した(写真)

 【明慧ネット2005年6月22日】遼寧省錦州市古塔区労働局の元局長だった李凌さん(女性、51歳)は、法輪大法の「真善忍」に従って修煉をし、様々な病気が全て治った。彼女は、仕事仲間や近所の人や親戚から良い人であると評判だった。法輪大法が中国邪党の迫害を受け始めてから、李凌さんは法輪大法のために平和的な請願を行ったので、不法に一年半の判決を言い渡され、瀋陽大北遼寧省の女子刑務所に監禁された。そこで、警官らに強制的に中枢神経を破壊する薬物を飲まされ、身体は痛めつけられ骨と皮だけになり、体重は65kgから45kgまで減った。2001年4月26日、刑期が満了になり家に戻ったが、2002年5月28日に再び古塔区政治法律委員会に強引に連行され、不法に4年の判決を言い渡され、遼寧省の女子刑務所で苦しめられ、2004年11月17日に迫害により死亡した。

                         李凌の写真

 李凌さんが迫害により死亡する直前に、国連の「監禁問題調査団」が2004年9月18日から30日間に亘って、監禁問題について中国で現地調査を行った。国連は中共政府に中国側が監禁している人々に対する法律情況と身体の状況に関する資料の提供を求めた。李凌さんもその名簿の中の一人であった。

 調査団は訪問中に、李凌さんの処理に関して中共政府に質疑を行った。当時、李凌さんは残酷な虐待を受けていたが、中共当局は彼女の情況を隠し、調査団と李凌さんを面会させなかった。李凌さんに対する虐待を隠すため、地元の役所は、2004年9月22日に李凌さんと息子の面会を許した。2004年10月26日、李凌さんの夫が李凌さんと面会した時、彼女の髪はほとんど白くなっており、身体は非常に弱っている様子だった。

 国連の調査団が帰国後も、中共当局は李凌さんに対して残虐な迫害を引き続き行った。2004年11月17日、遼寧省の女子刑務所は錦州市政治法律委員会を通して、家族に李凌さんの死亡を伝え、死後の後片付けを求めた。家族は、刑務所との交渉の際に、警官に、李凌さんはいかなる法も犯しておらず、彼女は迫害によって死に至ったと訴えたが、当局は李凌さんの家族の訴えを全く相手にしなかった。

 私達は李凌さんの事件から、中共は自分たちのしていることは騙し隠して、国連の人権公約に従わず、かえって国連の人権基本法の多項目に背いていることを見抜くことが出来る。

 国連は李凌さんが監禁された事件に対して注目した

 国連の「監禁問題調査団」は5ヶ月間の調査を経て、2004年3月に錦州市古塔区の労働局の局長を務めていた大法弟子であった李凌さんと、吉林省の大法弟子である裴継林氏を不法に逮捕し、迫害した事件に対する裁決を公表した。そして、その裁決と報告を2004年3月に開催された国連の第60回の人権大会に提出した。

 李凌さんの事件に関する一部の結論:

 「法輪大法のようなボランティアによる功法は『世界人権宣言』の保護を受けるべきである。李凌さんと裴継林氏に対して自由の権利を剥奪することは『世界人権宣言』の第10、11、18、19条に背いている。この事件は、二類の訴訟案に属している。国連は、中国政府が李凌さんと裴継林氏に対する判決を変更し、世界の人権公約の基本原則と規定に従うことを求める」

 「調査団の観察によると、中国政府は李凌さんと裴継林氏の監禁が法輪大法と関係あることについては否定していない。現在審査中の案件の中では、法輪功による暴力の恐れは認められていない」

 「民衆がこのように平和的な功法鍛錬をすることを制限するのは、国際法に背いている。これらの事件の中で、李凌さんが不法な抗議をし、裴継林氏が社会秩序を乱したという(政府の)告発には、いかなる暴力行為も言及しなかった。そして、国連の調査団が下した結論は、李凌さんと裴継林氏が捕らえられた理由は平和的な方法を使ったことであり、彼らは『世界人権宣言』の信仰の自由と言論の自由のもとに保護されるべきである」と述べた。

 「これらのニュースがもたらす非難に反論し、国際世論の批判を避ける為、中国政府は法輪大法に対する一連の中傷を始めた。政府は李凌さんに対して公正な裁判を確保したと公言しながら、実際の裁判ではそれは芝居に過ぎず、公正な審判はかたちだけであった。政府から指定された弁護士は、李凌さんの為に弁護をするのではなく、逆に彼女を脅した。信頼できる情報によると、李凌さんが一回目の監禁中に書いた上申書には、彼女が捕らえられて監禁された理由は彼女が法輪大法のために陳情に行ったことであると明確に指摘した。李凌さんの二回目の判決は極秘に行われ、判決は2002年5月から11月の間であり、彼女の家族にさえ知らせていなかった」

 中共政府は国連に嘘をついた

 中国政府は、この事件に対して国連に書面で事実とは異なった次のような返答をすると同時に、刑務所は李凌さんの情報を全面的に封鎖した。

 「李凌さんは1999年10月27日に数人と一緒に不法に抗議した為に逮捕され、1年半の判決を受けた。刑期が満了して釈放された後、治安を乱した為再度逮捕され、4年の判決を下された。二回に亘る裁判は全部公開されており、李凌さんは公正に裁判を受ける権利を十分に保護されていた。政府は李凌さんの為に弁護士を提供していた」

 しかし、事実は、中共は李凌さんに対する迫害を止めず、様々な残虐な体刑で苦しめたたけでなく、全ての裁判のプログラムも、全て人権基本法に背いたものであった。

 2002年5月28日の夜8時、李凌さんは家から無理やり連行され、第一看守所に6ヶ月間監禁されたが、地元の公安、警察、法律などの各部門は家族に李凌さんがなぜ捕らえられているのか、どこにいるのか、どんな罪を犯したのかについていかなる知らせも出さなかった。家族が知らない中で、極秘(中国の法律には開廷する時家族に知らせると定めている)に2回も裁判を行い、不法に彼女に4年の判決を言い渡して、遼寧省の女子刑務所に監禁した。

 監禁中、刑務所の警官は刑事犯を唆して彼女に精神的な虐待をして苦しめ、信仰を放棄させようした。李凌さんは毎日、強制的に長時間の苦しい労働をさせられ、高血圧、心臓病が再発した。2004年1月に刑務所の病院に送られて応急手当てを受けたが、2月16日に家族が面会に行ったとき、彼女は既に正常に食事をとることが出来なくなっていた。刑務所側は毎日、刑務所の警官1人と4人の刑事犯を一日中付き添わせ、何度も強制的に食べ物を注ぎ込んだ。2月25日、夫が刑務所の病院へ面会に行ったとき、彼女の身体は骨と皮だけになっており、彼女の髪は白くなっていた。さらに、精神的に異常をきたし、命は危険な瀬戸際まで迫っていた。家族が何度も獄外治療を受けさせようとしたが、刑務所側は、李凌さんは病気ではないので、仮釈放はできないと答えた。家族が「病気がないのになぜ入院しているのか」と聞くと、彼らは何も答えなかった。そして、家族が病気治療の証明を求めると、刑務所側は何も提出せず、面会さえ許さなかった。

 中共当局は国連の決定に従わず、かえって迫害を激化して、面会さえ許さず、家族が刑務所に数回足を運んでも、全て断った。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/6/22/104594.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2005/6/26/62265.html