日本明慧


河北省黄カ市呂橋鎮の法輪功学習者・王厚格さんは迫害により死亡

 文/河北省法輪功学習者

 【明慧ネット2005年6月21日】河北省黄カ市呂橋鎮下堡村の法輪功学習者・王厚格さんは不法に労働教養されていた間、石家庄労働教養所でさまざまな酷刑による虐待を受けた。一日に三回「上縄」(下記の文中に説明があります)されたこともあった。2002年5月、骨と皮ばかりにやせこけて、生命の危篤状態になった王厚格さんは自宅に送られた。王さんの妻・楊芳珍さんは巨大な圧力の下で、毎日他人の田畑でアルバイトして10数元稼ぎ、一家の生活を支えていた。黄カ市と呂橋鎮の610オフィス(法輪功取締本部)の絶え間ない掻き乱しと恐喝によって、王厚格さんは2005年5月に冤罪の晴れないまま、この世を去った。享年42歳だった。

 王厚格さんは1998年に法輪大法を修煉し始め、明るくなり、思想が広くなり、好んで人を助けるようになった。生命の意義について更なる深い理解ができ、家族の生活も非常に穏やかで、幸せだった。1999年に法輪大法が邪悪な弾圧を受け、迫害され、マスメディアは悪徳なデマで人々を騙し、人々は法輪功に対して多く誤解してしまった。法輪大法に正義を取り戻し、事実を明らかにするために、また人々が再びマスメディアの間違った報道に導かれないようにするために、王厚格さんは憲法の公民に与えられた信仰の自由、陳情の自由の権利を履行して、北京に行き、胸一杯の希望を持って、陳情オフィスを訪れ、国家指導者に真相をはっきり伝えようとしたが、北京公安の警官に不法に拘留され、その後、当地の610オフィスの責任者により、当地に連行され、迫害された。

 2000年10月、王厚格さんと王さんの妻・楊芳珍さんは、他の数人の法輪功学習者と共に大法を証明し、うそを暴き出すために、北京へ行った。王厚格さんは天安門広場の付近で私服警官に尾行されて、捕らえられた。楊芳珍さんは他の数人の法輪功学習者と一緒に不法に拘留された。王厚格さん、楊芳珍さんは他の数人の法輪功学習者と一緒に不法に当地の留置所に送られた。留置所で王厚格さんは修煉を放棄するように強いられ、常に犯人らに殴打され、精神的に、肉体的に非人道的に虐待され、痛めつけられた。

 王厚格さんは留置所で不法に50数日間拘禁された後、3年間労働教養を課され、石家庄労働教養所に移された。労働教養所の警官は王厚格さんを「転化」(修煉を放棄)するように強要し、数多くの酷刑を使った。例えば、上縄と言う酷刑を受けた。三人が縄で人を縛り、絶えず縄をねじって、縄がとんとん引っ張られ、体に絞込み、どきどきし、気分がすっきりしなく、吐き気をもよおし、嘔吐するほどだった。普通の人はこれらの苦痛に耐えきれない。時間が長くなると、両腕は知覚を失った。王厚格さんは一日に三回も上縄された。また、四つの小さいタイルをつなぎ合わせた上に長時間座らせられ、少し動くと、警官に殴られ、蹴られた。また、数日も連続して睡眠を与えない酷刑もあった(労働教養所では「鷹を煮る」と言う)。この方法により、人は体が虚脱し、全身が疲れて、無気力となった。

 石家庄労働教養所で人を虐待する酷刑にはまだ多くの種類があった。王厚格さんはまた酔っ払った警官に夜12時に呼び出され、長い時間酷く殴られた。皮靴で頭を猛打され、頭部にはとても長い傷口ができ、血がしきりに流れた。しかし、警官は止めずに殴り続けた。王厚格さんがこのような恐怖の中で迫害された例はあげきれぬほど多くある。ここに記載したのはただ氷山の一角にすぎない。
 同年、楊芳珍さんと数人の同修は不法に15日間監禁された。当地の留置所は一人5000元ずつ罰金をゆすった。自宅に戻って4日経つと、また鎮の610オフィスのメンバに騙されて鎮の洗脳クラスに連行され、40数日間拘禁された後、一人3000元ずつゆすられた。
 2001年3月、楊芳珍さんが人々に真相をはっきり説明した時、天津の公安に追跡されたので、それからしかたなく路頭に迷うようになった。こうして楊さんの家庭は邪悪に迫害され、ばらばらになった。家には小学生の子供とお爺さんとがなんとか生活を維持していた。

 2002年5月に王厚格さんは労働教養所で1年以上拘禁された後、警官により密かに自宅に送られた。労働教養所での虐待によって、王厚格さんは骨と皮ばかりにやせこけていた。自宅に送られる十数日前に、王さんは既に生活能力を失い、食事が自分で取れなくなり、他の犯人らの助けがないとトイレにも行けなくなっていた。長時間の虐待によって、王厚格さんは多くの疾病を患い、労働教養所で既に高血圧、心臓病などが検査でわかった。家に送られる途中はずっと酸素補給により呼吸を維持していた。車の中で、警官大隊長は王厚格さんが呼吸しているかどうかを確認するために、絶えず王厚格さんの名前を呼んだ。王厚格さんが車の中で死ぬと責任を負うことになるため、それを恐れて、労働教養所の指導者は絶えず車のメンバーに電話をして王厚格さんの状況を尋ねていた。労働教養所のメンバーらは王さんを家に送った後、そそくさと逃げ帰った。

 明るくて、元気だった王厚格さんは一年ちょっとの間に中共により労働教養所で虐待され、鬱憤が晴れず、体は重病を患った。家に帰った後、家族が王さんを病院へ送って検査した結果、王さんは既に肺結核で、肺の四分の三が腐っていて、他にも病気があった。医者は数ヶ月しか生きられないと言った。
 王厚格さんが自宅に戻ったことを聞いた楊芳珍さんは不法逮捕の圧力の下で、自宅に戻った。こうしてばらばらだった家族は一緒になることができた。

 その後、黄カ市と呂橋鎮の610オフィスのメンバーは絶えず掻き乱し、脅かし、ひいては人を雇って監視したりして、王さんの家族は恐怖の状態に陥った。王厚格さんが迫害されて、労働能力を失い、貯金は罰金としてゆすられ、また多くの借金ができた情況で、楊芳珍さんは巨大な圧力に直面したが、ねばり強く全家庭の生活を維持した。毎日他人の田畑でアルバイトして10数元を稼ぎ、子供の学費を含めた、家族の生活維持のために使った。

 2003年9月に楊芳珍さんはまた鎮の610オフィスの不法メンバーらに連行されて、滄州の洗脳クラスに送られ、再度迫害を受けた。家族はまた離散し、王さんは精神的に大きく傷つけられた。本来極めて弱かった体はもっと弱くなった。
暴力による弾圧と迫害、そして絶え間ない掻き乱しと恐喝により、王厚格さんは精神的、肉体的に、次から次へと打撃を受け、傷つけられ、2005年5月に冤罪が晴れないままこの世を去った。享年42歳だった。

 法輪功学習者に対する弾圧と迫害は未だに行われている。中国大陸で王厚格さんのような悲劇は未だに発生している。全ての善良且つ正義を持つ人々が中国で発生している、然も中国では正しく報道されてない民族大災害をはっきり認識できるようになることを希望する。善良な人々よ、私達と共に今回の迫害を制止しましょう。私達の一人一人に自由の空間を持たせて、互いに善を持って付き合い、寛容で、忍従な人になりましょう。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/6/21/104500.html