日本明慧
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【明慧ネット2005年7月6日】羅美英さん(女性、57歳)は、四川省攀枝花市金沙江林製品会社の社員の家族である。1999年から法輪功を修煉し始め、2001年に大法を実証する為に真相資料を配布していたが、2001年9月29日に、すでに洗脳されたユダの告発により、格里坪派出所指導員の趙治江や警官荀連彬、付強など合わせて5人が彼女の家を不法に家宅捜査し、彼女を強制連行し、格里坪派出所に拘禁した。2001年9月30日、再び不法に拘禁され、拘禁中に夫の李保富さんが格里坪派出所に行き、妻の開放を求めたが、指導員の趙治江が「この事件は大きいといえば大きいが、小さいと言えば小さい。大きい時は数年の刑になる。」と言ったのを聞き、夫の李保富さんはすぐに、これがお金の要求であるということに気づいた。そこで彼は、助けてもらえる人を探して、格里坪派出所との関係を通そうとして、趙治江に5000元の現金を手渡した。その後、再び250元の罰金を払い、2001年10月24日に彼女は釈放されて家に戻ったが、格里坪派出所の警官らはいつも彼女の家に行って騒ぎ、恐喝をした。彼女の夫は脅迫されるのを恐れて彼女の外出も、煉功も許さず、孫娘に頼んで彼女を家にいさせるようにした。その為、同修者とはほとんど交流ができず、その後、羅美英さんは病気が再発し、2004年5月29日に亡くなった。 楊会英さん(女性、59歳)は、山東省?坊市坊子区公安街33号の3号に住んでいた。彼女は1995年に乳腺癌の摘出手術を受けた後、体が極めて衰弱していたが、1997年から大法を学び始めて修煉を続けたので、身体がどんどん元気になった。そして、2000年後半北京へ陳情に行き、帰って来てからも真相説明を続けた。2002年の冬、楊会英さんの夫が真相資料を作っていた時、家の家財を没収され、彼は誘拐されて三年の労働教養を言い渡され、更に高額の罰金を支払わされた。その間、悪人は何度も家に来てかき乱した為、楊会英さんは心身ともに大きな傷を受け、病気が再発し緊急手術を受けたが、2005年の1月2日に亡くなった。 史維志さん(男性、68歳)は、山東省聊城市闘虎屯鎮山南庄の大法学習者で、修煉前は脳梗塞、高血圧などの様々な病気に悩まされていたが、法輪大法を修煉してから身体は回復し、とても元気になった。1999年7月20日、邪悪が大法を迫害し始めてから、他所で仕事をしている長女、そして娘婿と次女が法を実証する為に陳情に行ったことから、不法に拘禁、拘留、殴られる等の迫害を受けた。悪人は不法に家宅捜査を行い、妻や息子、そして息子の嫁を誘拐した。最も深刻な時には、家に史維志さんと彼の9歳の幼い孫娘の二人だけが残されて苦難に満ちた日々を過ごした。そして罰金、保証金などで5千元を強制的に払わされ、2人の娘は数回に渡り誘拐、拘禁、洗脳などの迫害に遭って、仕方なく路頭に迷い、長女の娘婿は不法に労働教養を言い渡されて迫害を受けた。悪人は、2人の娘を捕まえる為に、何度も家に来てかき乱し、恐喝をした為、史維志さんは心身ともに大きな傷害を受けた。長期に渡る極度の恐怖、緊張により精神状態が衰弱した為、2005年6月18日に亡くなった。 韓志慶さん(72歳)は、浙江省の大法学習者である。1996年に法を得て、間もなく様々な病気が奇跡的に治った。99年の7月20日以降からはいつも追跡、監視、恐喝を受けて、2度も家財を没収され、精神的に深刻な迫害を受けた為、2005年2月に冤罪が晴れぬまま亡くなった。 孫世凰さん(男性、51歳)は、遼寧省盤錦市盤山県東郭場劉三村の大法学習者である。99年7月20日以降、積極的に真相説明に参加した為、いつも派出所の悪質な警官にかき乱され、恐喝された。これにより病気が再発し、2003年4月に亡くなった。 劉淑媛さんは、遼寧省瀋陽市蘇家屯区の大法学習者である。法を得る前は糖尿病、心脳血管病、眼病、頚椎等の様々な病気に苦しんでいた。1997年に法を得て修煉を始めてからは、全ての病症が無くなった。99年7月20日以降、悪質な警官らがいつも家に来て、煉功をさせなかったり、強制的に指紋を取ったり、何度もかき乱した。長期に渡る迫害を受けて、劉淑媛さんは2004年9月5日に冤罪が晴れぬまま亡くなった。 韋善育さん(男性、71歳)は遼寧省丹東市出身。法を得る前は、脳出血を患って自分で生活ができなかったが、1997年に法を得てから、修煉して自分で自分をコントロールできるようになった。1999年7月20日以降、町内の悪質な警官が何度も家に来てはかき乱し、恐喝した為、2001年3月に亡くなった。亡くなる前に書いた大法を実証するメモは悪質な警官に奪われた。 李秋生さん(女性)は、河北省棗強県農場の大法学習者である。法を得る前は、不治の病を患っていたが、煉功してから身体が健康になった。1999年7月20日以降、政府の悪質な者の妨害に遭い、邪悪の迫害を受け、病気が再発した。病状が重い時も、農場の叶慶宝は依然として彼女に「北京へ陳情に行くな」と保証書に署名するように脅迫し、李秋生さんは冤罪が晴れぬまま亡くなった。 |