黒竜江省女子刑務所の第9区域で大法弟子に対して行なった迫害事実(写真)
文/黒竜江省大法弟子
【明慧ネット2005年7月28日】下記は2003年から2004年まで、黒竜江省女子刑務所の第9区域で大法弟子に対して行なわれた迫害事実である。当時第9区域の大隊長・鄭傑と警官・張春華は自分達が如何に法輪功に対して厳しく迫害しているか現すために、迫害の手段として、大法弟子に労役に参加するよう強要した。
私達20数名の大法弟子は迫害に反対するために、労役に参加しなかった。2003年4月16日、警官は談話の名目で私をオフィスに呼び出した。実際は話をしたのではなく、罵ることが出来る犯罪人と殴打出来る犯罪人らを指図して、私をめった打ちにした。殴りながら、私に「労役に参加するか。」と聞いた。私が「参加しない。」と答えると、彼女らは縄で私をきつく縛り、コンクリートの床に投げ出した。私はその日の夜9時を過ぎてやっと縄から開放されることができた。
4月17日、警官が、また談話の名目で私を呼び出そうとした。私が応じないと、警官は無理やり私を刑務所の捜査課に連れて行こうとした。大法弟子らは私を保護するために、全員で協力し合い、私達27人は手に手をつないで円を作った。そうすると、呼ばれてきた2人の男性警官は私達をめった打ちにし始めた。大法弟子らは殴られて顔が腫れた人、目が充血した人、洋服を引っ張られて破れた人もいて、その場面は非常に悲惨で、壮烈だった。私はひっくり返されて、仰向けに床に倒れていた。犯罪人の王丹は私の両脚を力いっぱい引っ張り、階段を引きずって下へ移動した。私の靴は打たれて飛んでいき、背中は引きずられた時、皮膚が剥けてしまった。その後、私は後ろから手錠を嵌められたまま、オフィスに夜中まで閉じ込められていた。
大法弟子・楊宝珠さん、姜敏善さん、劉坤さんは口を封じられた後、後ろから手錠を嵌められ、倉庫へ投げ入れられた。午後4時にやっと倉庫から開放されたが、その後小屋に入れられた。小屋で、彼女達はずっと地面に固定されたり、後ろから互いに手錠で固定されたりしていた。彼女達は5月9日にやっと小屋から開放された。当時、劉坤さんと姜敏善さんは靴を手に持って、裸足のまま戻ってきた。彼女らの足は腫れて、どんな靴も履くことが出来なくなっていたからであった。
このような酷い迫害も大法弟子に労役をさせる目的に達成する事は出来なかった。警官はまた冷たいコンクリートの床に夜中12時まで番号順に座るように強要した。睡眠を与えず、食事の時は蒸しパンを半個だけ与え、食べ物の購入を禁止するなどの迫害を行い、そして監視役の用心棒を按配した。心が優しい一人の刑事犯は残ったお粥を大法弟子に少し多く盛ってあげたことがあった。これを見た犯罪人の楊晶は警官に報告した。その結果、この善良な犯罪人の当月の評定点数(評価点数が多くなるとなるほど、監禁期間が短くなる)はゼロ点だった。警官はこのように良知ある犯罪人を脅かし、彼らが敢えて大法弟子を手伝えないようにしている。これからも第9区域の邪悪さは極点に至っていることが分る。
2004年2月9日、第9区域の50数名の大法弟子はしゃがんで名前に答えることを拒否した。警官の彦玉華、張秀麗は殺人犯・龍ケンに大法弟子・蔡密さんを殴打するように暗視した。しかも片方の腕は肩の上から後ろに引っ張り、もう片方の腕は脇の下から後ろに引っ張って、両手を固定し、男性区域と女性区域の間の大きいグランドで蔡密さんを凍らせた。蔡密さんの顔は酷く傷つけられた。その後、警官は事実を隠すために、蔡密さんを小屋に拘禁した。
私達大法弟子が断食を行い、蔡密さんを救援しようとすると、警官の張秀麗は犯罪人の趙学玲、侯桂芹、パン紅艶などの用心棒を指揮して、私達に強制的に食物注入を行い、また私の貯金カードを奪って、そこから「食物注入費」を差し引いた。これらの邪悪の輩はこのように私達を肉体的、経済的に迫害した。
第9区域の隊長・張秀麗はと区域長・賈文軍は大法弟子を迫害する急先鋒である。彼女らは現在第9区域の20数名の大法弟子に対して強制的に「転化」を行っている。ここで、不法に黒竜江省女子刑務所に監禁されている大法弟子を一日でも早く救援するように呼びかける。
下記は黒竜江省鶴岡市の大法弟子が黒竜江省女子刑務所で受けた迫害をデモンストレーションした写真である。
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/7/28/107171.html)
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2005/8/5/63615.html)
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