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内モンゴル霍林郭勒市の張毅超さんが迫害により死亡

 【明慧ネット2005年4月10日】内モンゴル霍林郭勒市の張毅超さんは、両親と一緒に法輪功を修煉していた。両親は悪警察官に拉致され迫害されるとともに、張さんは学校の政治の用心棒に迫害された。迫害を避けるため、張さんは家を離れた。外でアルバイトをしている間に、病気を患って家に帰った後、2005年4月6日に死亡した。まだ18歳だった。

 張さんは、内モンゴル霍林郭勒市の法輪功学習者で、98年に法輪功を修煉し始めた活発で明るい女の子で、深く両親と親友に愛された。母親の符桂英さんが大法を証明するために、99年9月に北京に行ったが、12月に労働教養された。学校側も学生に大法を攻撃する署名を要求した。張さんはそれを拒否したため、学校の党委員会書記の孟憲民に呼びだされた。市の「610」オフィスや公安局は学校に圧力をかけ、何度も彼女に法輪功を放棄する保証書を書くように強要し、さもなければ退学処分にすると脅した。彼女はその時まだ13歳だった。家に帰った後、一人で泣いたが、クラス担任の先生や校長、党委員会書記から更に厳しく懲罰されるのを恐れて、家族に相談することができなかった。

 2000年6月に父親の張建竜さんが捕まってから、彼女はまわりの同年齢の人の耐え難い圧力に耐え、それからは口数が少なくなった。2002年3月1日に、霍林郭勒市の第4中学は、彼女の両親が法輪功の修煉者であることを理由に、彼女が引き続き学校へくることを拒絶した。集団会社の調和で(注:おそらく彼女の親の就職先)、学校は再び彼女を受け入れたが、学校の党委員会書記の孟憲民は毎週彼女に面談して書面を書かせ、大法や両親と関係を断ち切るように強要した。2002年5月に、両親は不法に拘留され、彼女一人が家に残された。霍林郭勒市の「610」オフィスや、市公安局南広場派出所の秦宝庫、趙秀発、?托、烏力吉など10人余りの悪人が、迫害の証拠を集めるために、彼女の家に進入した。ベッドやソファーをはずし、家をひっくり返し、野菜を入れる穴蔵さえ掘ったほど探し尽くしたが、何もなかった。29日の夜、共産党の邪悪な宣伝を受け、大法と大法弟子を敵視する一群の少年達が、彼女の家の扉を打ちこわし、多くの窓ガラスを壊して、彼女に極度の恐れを感じさせた。学校での迫害、そして学友や社会の人から差別されることは、彼女の心身を極めて大きく傷つけた。

 2002年9月に、両親は同時に労働教養された。母親の符さんは3年間の労働教養をされ、本来150斤の体重だったが、迫害によりたったの60−70斤になった。また、服役中重病のため一時出所した。このような悪人の彼女の家族への迫害は、さらに彼女に恐れを感じさせた。彼女はしかたなく家出をした。その時は、彼女はたった15歳だった。瀋陽と大連などでアルバイトで生活をしたが、落ち着いて住む所がなく、食べることもままならなかった。両親が何度も迫害されたため、彼女は家に帰りたくなかった。帰ってきても、また何度も家を離れた。外でアルバイトをしている時、肺結核に感染して、医療費が無かったが、家に帰りたくなく、何度も気絶した。あとになって家に帰ったが、2005年4月6日に病院で死亡した。歳は18歳だった。

 


(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/4/10/99320.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2005/4/20/59888.html