日本明慧


正念で法を読む時間がない状況を変える

 【明慧ネット2005年7月22日】最近、学習者たちはインターネットの上でMP3(携帯用デジタル録音と再生装置)を利用して法を学ぶことに関していろいろ討論している。皆さんの意見は大体二分している。一つは、この方法で時間を有効に利用して法を学ぶことができるし、雑念を排除することもできる;もう一つは、この方法で法を敬う心が足りなくて、且つ心が静かな状態を保たれないから、効果も良くない。
 
 始めに、私はこの二つの意見はそれぞれの理由があり、且つ一人一人の修煉の道が違うから、無理に一致させることを要求すべきではないと思った。しかし、今朝出勤途中に、この問題を思い出す時、突然一つ新しい認識が沸いてきた。ここにこの認識を述べさせてもらって皆さんと交流してみたい。

 1999年、邪悪な迫害が始まる前に、私は出勤途中でよくウオークマン(携帯用録音機)を使って大法の音楽「普度」と「済世」を聞いていた。始めは、心が大法の音楽に従って昇華しているように、とても良い効果を感じていたが、しかし時間が経つと共に、このような感じが徐々に薄くなって、大法音楽に対する崇敬の気持ちも感じなくなった。そして、自分は自然にこの方法を止めた。

 邪悪な迫害が始まってから、心が落ち着かない時、「普度」と「済世」を聞いて心を整理しようと思ったが、聞きながら寝てしまう時がよくあるから、これでは良くないと思って、止めた。 

 私のこの二回の経験では、すべて効果が良くないことによって止めた。且つ、私は大法の音楽を聞いただけであった。師父の講法を聞いている学習者がこの問題に気づいているかどうかが分からないが、常人の中で「一心が両用できず」という言い方があるように、一般の人が静かな心を保ちながら、二つの事を同時に行うことは非常に難しい。私達は今修煉中の人だから、恐らく「一心両用」もできないだろう。師父は何回も我々に注意したことがあるように、静かな心で法を学ばなければ効果が得られない。 

 個人の感想としては、もし纏まった時間が取れなければ、たとえ少し睡眠時間を削って、30分ぐらい静かに法を勉強することができれば、それでも精神集中できずに10時間流しっぱなしで法を聞くことよりも効果が良い思う。且つ時間がないということは、多くの場合が何らかの邪魔によるものであり、正念が強くなれれば、情況はすぐ変わってしまう。。私は何回もこのような経験があった。一時期に、さまざまな乱雑な事が私のところに集中してきて、非常に困った時があった。始めに正念が足りなくて益々混乱してきたようになったが、発正念を強化してから、あっという間に問題が解決できた。

 


(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/7/22/106676p.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2005/8/7/63682p.html