日本明慧


九ヶ月の胎児が殺され、5年の刑罰を言い渡される

 

 【明慧ネット2005年7月12日】この手紙は、大法弟子王桂金さんからのものです。王さんは法輪大法を修煉するため、数回不法に監禁されました。今回逮捕された時、警官らは修煉を放棄させるため、そろそろ出産予定の王さんを強制的に堕胎させました。9ヶ月の胎児が無残にも殺されてしまいました。王さんは5年の刑罰を言い渡されました。この手紙を書き終わった数日後、王さんは看守所から移され、現在は監禁場所が不明になっています。

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 学習者の皆さん、こんにちは!

 まず、学習者の皆さんが、法が世を正す最後まで修煉の道を順調に歩むことを願っています。

 私は淮陽の出身で王桂金と言い、今看守所に監禁されています。学習者の皆さんが法を実証することをよく行っていることを知っています。皆さんは、世の人々に大法が素晴らしいと伝えると同時に、邪悪の大法弟子に対する残虐な迫害を暴露しています。その他、いつも近距離に正念を発し、私たち監禁されている学習者を救援しています。皆さんの正しい念正しい行いに、心から感心します。ここで手紙を通じて感謝の意を表します。本当にご苦労をおかけしております。

 5年以来、私は夫と、一言の真実の言葉、「法輪大法は素晴らしい」を言うために、苦しみを嘗め尽くしました。師父は経文の「政治に参与しているのではない」の中に「大法弟子を迫害しているこの悪党を裸にし、中国人と世の人々に、彼らが信じている「偉大で光栄かつ正確」と常に自称しているこの党がいったいどういうものなのかを見てもらうしかないのです。」とおっしゃいました。

 2000年10月3日、私は、夫の宋振霊と18名の学習者と一緒に、北京に陳情に出かけました。途中で魯台派出所と淮陽「610オフィス」に差し止められました。翌日、私たち8人の学習者は、また他のルートで北京に行きました。天安門広場で私たちが煉功しようとしているところを、連行されパトカーに押込まれ、前門派出所に監禁されました。淮陽「610オフィス」の任偉と魯台派出所の所長は、北京に来て私たちを北京にある周口事務所に連れ、順番に私たちを苦しめました。夫はずっと縄でしっかりと縛りつけられました。私を尋問する時、県公安局の呉勝利、魯台派出所の所長は、私を座らせず、立たせず、無理やりにひざまずかせました。誰がリーダーなのかと問いただされ、私は答えないため、殴ったり蹴ったりされました。髪の毛を引っ張られいっぱい抜けてしまい、顔も殴られたため、腫れてきました。淮陽「610オフィス」の任偉と魯台派出所の所長は、夫の両手を後ろで手錠にかけて、縄で縛りつけて、殴ったりしました。夫も顔が腫れてきました。二回目の尋問の時、夫は下半身までも縛られ、足をまっすぐに伸ばせない苦しい状態にさせられました。任偉はまた自分の皮靴を脱いで夫の顔を殴ってきました。二日間監禁され、任偉は、私たちが身にしていたお金を全部没収し、ご飯も与えませんでした。

 10月7日に淮陽に連れ帰られました。任偉、耿守霊、趙敏、陳加倉は、再び私たちを尋問しました。まず、夫をきつく縛り付け、それにより夫は背中に深刻な傷をつけられました。任偉は再び皮靴を脱いで、夫の顔を殴り、70回も殴ると暴言しました。50数回ぐらい殴ると、任偉は疲れて息が苦しくなったため、やっと手を止めました。彼らは私を数回も尋問しました。とても寒い夜、4時間も尋問されました。私が何も言わないため、耿守霊にひどく殴ったり蹴ったりされました。

 私たちは看守所で煉功をしました。囚人の班長の時忠傑は看守所長に報告し、所長はほうきで私たちを殴り、室外に行かせました。二人ずつ一人の足かせをはめさせられ、牢屋に戻って3日後、やっと外されました。その後、私たち学習者は個別に監禁され、半分は看守所でもう半分は拘留所に監禁されました。拘留所の所長は毎日「腹を割って話そう」と言い、私たちを思想転化させようとしました。その後、一人ずつ尋問されましたが、誰もが法輪功の修煉を放棄しませんでした。

 2000年12月、県の610オフィスで洗脳クラスが行われました。私と夫は、法をよく勉強していなかったため、騙され、罰金4000元を支払い、監禁されないで済みました。師父と大法に申し訳ないことをしてしまい、自分の修煉に汚点をつけてしまいました。その後、師父の経文「強制しても人の心は変えられない」、「提案」が発表され、私たちは、後悔でいられなくなり、すぐ「厳正声明」を発表し、再び法を正す修煉を始めました。

 2001年4月、邪悪が再び私に付きまといに来ました。しかたなく、私は家を出て流浪を余儀なくされました。魯台派出所は、絶えず家に姑を脅かしに来ました。いつも夜中にやって来て、ノックもせずに、懐中電灯で部屋の中を照らして私を捜しました。
 
 学習者の助けにより、私と夫は、淮陽西関で大法の資料の拠点を作りました。11月12日に私たちが逮捕されました。私たちは「法輪大法は素晴らしい」と叫んだため、李昌鋒、王全棟、耿守霊、庄××は私たちをひどく殴りました。顔が腫れてしまい一週間後やっと腫れが消えました。パソコン、プリンタなどは全部没収されてしまい、私と夫は再び看守所に監禁されました。その日夫は5時間も尋問されました。その後私も尋問され、プリンタ、パソコンを買うお金はどこから入手したのかと問いただされました。私が何も言わないため、冷たいコンクリートの床に3時間も座らさせられました。私たちは断食で抗議を始めました。

 断食して2週間後、看守所の所長李召生、鄭現軍は、私に強引に食物注入するよう張多書に命令を下しました。竹竿を喉まで差し込んでおいて、鼻をつねって、無理やりに注入をしました。夫は、鄭現軍に鉄物で歯を無理やりにこじ開けられ、口から血がいっぱいに流れてきました。そのほかに、鄭現軍は竹竿で夫の足の先を刺しました。夫は足の親指が痺れて腫れてきて、釈放された後でも、親指がずっと黒く腫れていました。家族は釈放を求めに来てくれましたが、任偉、耿守霊に4000元のお金をゆすられました。私たち断食して29日後、すでに息絶え絶えとなりました。それでも任偉は釈放を許可しませんでした。その後、私たちが死ぬことを恐れたため、やっと私たちを釈放しました。

 2004年2月、私と夫はまた迫害に遭いました。私たちは?城県肌着工場の寮に大法の資料の拠点を作りました。26日の午後、学習者の賈紅さん、劉霞さんと私が相前後して逮捕されました。私は強引にパトカーに押し込まれました。途中「法輪大法は素晴らしい」とずっと叫び続けました。彼らは、私を殴ったり汚いもので私の口を塞いだりしました。?城県公安局に着いて、夫と息子がすでにいました。午後の4時半に夫が幼稚園に息子の宋賀を迎えに行った時、幼稚園の玄関で?城県公安局の悪徳警官張勇に強引に連行されました。息子がびっくりしてパパ、パパと泣き出しました。幼稚園の園長もただ一言を言っただけで、逮捕されそうになりました。

 公安局に着いて、張勇は私たちを尋問しました。その後私たち5人を?城県看守所に移しました。看守所に入ったとたんに、私たち4人は声を揃えて「法輪大法は素晴らしい」と叫び続けました。看守所の警官はびっくりして、所長は私たちを受け取りたくはありませんでした。公安局の悪警官は、怒って私たちをひどく殴ったり蹴ったりして手で私の口を引き裂こうとしました。息子は怖くてずっと泣いていました。結局、賈紅さん、劉霞さんは?城県看守所に受け取られ、私たち家族三人は淮陽の看守所に帰されました。

 2月27日、王全棟、李昌鋒は、パソコンなど機材を買う資金をどこからもらったのかと尋問し続けました。私たちは何も言わずに断食で抗議しました。

 李召書、鄭現軍は、また強引に食物を注入するよう張多書に命令を下しました。食物注入の度に、胃に管を差し込みます。管が胃まで差し込んだ後、張多書はいつも手で私のおなかを押えます。ある日、張多書は私が妊娠したことに気づき、看守所の所長に報告しました。3月16日、610オフィスに派遣された悪警官の王立群は、私を病院に連れ検査を受けさせました。本当に妊娠していたことが証明されました。3月16日、私は釈放されましたが、その代わり住いを監視されました。しかし、私に対する迫害はこれで終わってはいませんでした。

 断食して3ヶ月になった頃、夫は、やせこけて50キロしかなく危篤状態に陥りました。淮陽「610オフィス」は夫を淮陽県人民病院に運び緊急手当てをしました。警官らは、死んでも釈放しないと言いました。師父の加護により、翌日夫は生き返りました。悪警官らは彼を看守所に連れ帰りました。その後、どんなに苦しめられたか分かりませんが、夫は半身不随になり両目も失明しました。

 このような状況でも、7月16日に、周口川?裁判所は看守所で開廷し、夫に有期懲役10年の判決を言い渡しました。これは、邪悪な党のいわゆる「法制」と「法律」であり、これは中国共産邪党の公理であり、これは平素から「偉大で光栄かつ正確」と揚言している悪党の本来の姿であります。夫は、すでに完全に動けなくなりましたが、10月14日に、警官らは無理やりに夫を河南省第三刑務所に運びました。今、夫の状況はまったく分かりません。

 2004年4月11日の午後、魯台派出所は実家に訪ね私を連行しようとしました。一日に数回もたずねました。父も派出所まで連行され、実家のすべての親戚が家宅捜査されました。ある日、兄が父への電話で「公安局は、今また桂金を捕まえに来ました。桂金に気をつけるよう伝えて」と言いました。電話が盗聴されているため、この電話によって4月30日に兄が逮捕されました。5月1日に私も逮捕されました。父も一緒に連行されました。睦ましい家は、このように一家離散されてしまいました。兄は15日間拘禁され、6000元の罰金を科せられました。父は一年の懲役を言い渡されました。私は妊娠していたため、魯台郷の郷長王尋、宋多海に監視されました。彼らは、私を魯台計画生育委員会に監禁しましたが、ご飯を与えてくれませんでした。一週間後、私を淮陽県610オフィスに移しました。毎日、趙季山、李昌鋒、王全棟、呉勝利、許軍に監視されました。その後、彼らは面倒だと思い、私を実家に帰し、住いを監視しました。しかし、思いがけない大きな災害がやっきました。

 7月19日、淮陽610オフィス隊長常怡軍は、魯台派出所に私を逮捕するようと命じました。彼らは私を強引に連行し、息子の宋賀も一緒に連行されました。当日の夜、私を淮陽県計画生育委員会の指導センターに連行され、堕胎を強いられました。私が同意しないと、翌日の午後2時、宋多海、李広、梁××など8人は私を押し倒して、強引に堕胎をさせられました。胎児はすでに9ヶ月になっていたのに、彼らには全く良心がないのでしょうか。何が彼らに悪魔のようなまったく人間性のない人にさせたのでしょうか。

 堕胎させられた後、私を釈放せず家族にも知らせずに、計画生育指導センターに監禁されていました。毎日食事がまずくて量も少なくいつもお腹が空いていました。これは、まさに江××が厚顔無恥に吹聴している「人権の一番良い時期」です。

 8月10日、淮陽県裁判所の方若飛などは計画生育指導センターで開廷して私の審判をし、検察院の李永清、梅芳は訴訟を行いました。

 無理やり堕胎されて一ヶ月も経たないうちに、悪人の李昌鋒らは、私を看守所に送りました。看守所の警察官は、顔色が悪くやせ細っている私を見て、「何か病気にかかっているのではないか」と聞きました。私は、ずっと具合が悪いと答えました。それで私を病院に連れ検査を受けさせました。「乙肝(B型肝炎)」を患っていることが分かりました。しかし、私を監禁するため、看守所の警官にすでに伝染時期は過ぎたと嘘をつきました。それで看守所は私を受け取りました。私は断食でこの旧勢力の安配に抗議しました。看守所の所長鄭現軍は、じょうごで強引に食物注入するよう張多書に命令を下しました。私はどうしても協力しませんでした。鄭現軍、黄凡は罵りながら、床に4つの杭を作って私の脚と手を別々に結びつけ、胃へ管を差し込みました。体が極めて衰弱していたため、胃に管を差し込まれて5分も経たないうちに、私は全身が紫色になり、意識不明になりました。それから、胃に管を差し込まなくなりました。

 看守所で何をされても、私は彼らに協力しませんでした。彼らはそれでも私を釈放しませんでした。その後、縄で私を椅子に縛り付けて、無理やりに点滴を打ちました。当時体が弱くて、血管さえ見つかりませんでした。悪警官は、生きているうちは釈放しないと言いました。4ヶ月近く断食してきた私は、体がとても苦しく感じ、力がなく、痩せこけており、顔色も悪く、ややもすれば意識不明になり、呼吸も困難になりました。邪悪は情もなく私を死亡させようとすることを私は知っていました。するとだんだん私は断食をやめ食事をするようになりました。この4ヶ月の虐待により、私の両足が動かなくなり生活も自立できなくなりました。トイレに行くのも、他人に頼ります。それでも、警官は「王桂金は仮病を使っている、「反革命分子」に同情してはいけない」と言いました。

 県の裁判所から5年の懲役を言い渡されました。私は、この理不尽な迫害を認めることができません。周口市中級裁判所に上訴をしました。今年の初、中級裁判所は表には合議廷を開き合議したようにしましたが、結局上訴は却下され、元の判決を維持することになりました。

 私を妥協させるため、私が看守所に監禁された後、まだ5歳の息子は父、母からの愛を奪われた後、610オフィスに連行されました。今でも、息子の消息は一切分かりません。

 この5年間、私たち夫婦は、法を正すことをよく行っていませんでしたが、いろんな困難を克服して今日に至りました。今なお苦しめられていますが、私たちに回帰してほしいという師父の期待を忘れることができません。修煉の道がどんなに難しくても、私たちは確固としてしっかりと歩みます。師父の経文《道》——「修煉とは実に難しいもので、天が崩れ地が陥没し、邪悪が狂ったように迫害し、生死に関わる時であっても、依然、あなたの修煉の道を確固として歩み続けられるところに難しさがあり、人類社会のいかなる出来事も修煉の道の歩みを阻めはしないのだ。」の教えをしっかりと覚えています。学習者の皆さんとだんだん離れますが、師父を固く信じ、大法を固く信じる意志で、永遠に師父についていきます。

 学習者の皆さん、ご苦労をおかけしました。ありがとうございます!

 監獄の中の大法弟子を代表させて頂き、師父4月8日のお誕生日を祝わせて頂きます。
 おめでとうございます!

 王桂金

 2005年2月12日看守所に於いて

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/7/12/105848.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2005/7/29/63367.html