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大慶監獄は3カ月間で連続的に3名の大法弟子を虐殺した

 【明慧ネット2005年7月26日】2005年7月23日の夜、大慶監獄の悪党警察の長期間の残酷な迫害を受けていた、大法弟子・袁清江は、極度の苦しみの中でこの世を去った。この死亡事件は、大慶監獄が、近三カ月間、大法弟子・王洪徳と許基善を虐殺した後に、さらに犯した血案である。

 2005年の上半年、大慶監獄の副監獄長である姜樹臣、610頭目である郭春堂は西安で行っていた会議から帰った後、法輪功に対して邪悪で残酷な迫害を、エスカレートさして行った。悪人達は、絶食で抗議する大法弟子に対して、2、3日に1回、強制的に注食を行い、毎回の注食には、トウモロコシのお粥を使い、大法弟子の生死はぜんぜん無視したのである。郭春堂は、法輪功を迫害する専門会議を組織し、部下に、「数名の法輪功を虐殺することは、何でもないことだ。どんな責任も負う必要が無いから。」と、唆した。また、七監区の区長である李鳳江は、「転化しない人は火化する」と叫び、2005年5月末から6月初旬にわたる15日も経たないうちに、大法弟子・許基善に対して残酷な迫害を行って虐殺したのである。大法弟子・王洪徳は、保外治療を受けるため監獄から出たが、状況が悪化して、出獄15日目の2005年5月14日に、この世を去った。

 袁清江、黒龍江省ハルピン市香坊区の人、1997年6月から法輪大法を修煉し始めた。邪悪な中国共産悪党が不法に大法を迫害し始めてから、袁清江はハルピン市の長林子労働教養所で不法な迫害を受けたのである。具体的には、強制的に長期間体罰を受け、体を曲げられたまま両足を分けて立たれたり、頭を地面に向かせたり、両腕を後ろから挙げるようにされたりしたのである。2003年3月7日の両会期間中、袁清江は不法に拉致され判決を受けた後、ハルピン監獄で残酷な迫害を受け続けたのである。袁清江は、悪党警察・張久珊と悪犯・関徳軍、王士軍等に乱暴に毒打されて、胸部に積水症状があり、全身無力で、手足が動けなくなったのである。その後、2004年7月、ハルピン監獄から大慶監獄第六監区に移動されたのである。

 今年の5月1日後、大慶監獄は、大法弟子に対して不法な迫害をエスカレートしたので、数十名の大法弟子は、迫られて絶食で不法な迫害に抗議した。そこで、大法弟子達は、小部屋に監禁されたり、鉄椅子に座らせられたりする酷刑を受けたのである。2005年5月初旬、第六監区の大法弟子・袁清江は、数十日間絶食で不法な迫害に抗議したが、野蛮的に注食と言う迫害を受けた。第六監区の区長・董鳳環は、自ら袁清江に暴力を振るって、袁清江を口から血を吐き、腕と脚は強く結ばれ壊れるようにしたのである。袁清江は、肝硬化腹水、腹部の大異常化、陰部の脹れ大異常化、皮と骨との痩せすぎなどの症状で、人の目には、悲参で見られないぐらいの状況であった。

 目前、大慶監獄は、厳密に大法弟子・袁清江の迫害によって虐殺された詳細な状況を封鎖しているのである。ここで、正義感がある人士達が、速く大慶監獄の悪党警察と悪人達の悪行を掲露するように頼む。また、善良な人々と袁清江の親族が、共に大慶監獄と訴え、邪悪を法律によって懲罰することを求める。



(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/7/26/107023.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2005/8/10/63772.html