日本明慧


天嬌ちゃんの悲惨な境遇(写真)

 

天嬌ちゃん

 【明慧ネット2005年7月19日】1991年のある日、旅行中の医師と弁護士は、列車の席の下にあるダンボール箱から音がすることに気づいた。子猫か子犬かと思って開けて見ると、臍帯(さいたい)がまだ取れていない赤ちゃんだった。列車長と鉄道公安官の同意を得て、看護婦長の呂嫦蘭さんは赤ちゃんを家に連れ帰り、両親呂慶斎さん、石勝英さんに託した。老夫婦は、かわいそうだと思い、赤ちゃんを引き取った。また苦心して赤ちゃんの戸籍登録もした。これから、この赤ちゃんは老夫婦に掌上の珠のようにかわいがられ、呂天嬌と名づけられた。

 1996年春おばあちゃんの石勝英さんは事故に遭い、椎骨第七節と第八節を骨折し、半身不随になり、国の「身体障害者2級」と認定された。見舞いに来た人は、石勝英さんが怪我で苦しんでいる様子を見て、法輪功を紹介してあげた。書籍《転法輪》をも贈った。小学3年生レベルの石勝英さんは、《転法輪》を読んでいるうちに不思議なことが起きた。本を読んで何日後かには座ることができ、2ヶ月後、普通に歩く事ができるようになった。石勝英さんと周りの人たちは、法輪功の不思議さと超常的な効果に感心した。

 石勝英さんは、幸運にも法輪功の修煉を始めた。1997年のある日、石勝英さんは、師父の写真を壁にかけた後、ソファーに座って休んでいた。6歳の呂天嬌ちゃんが外から入ってきて、当時まだ学校にも行っていないし、誰からも法輪功のことを聞いてはいないのに、師父の写真を目にして、すぐ跪いて真剣に師父に叩頭した。今まで、天嬌ちゃんは誰にも叩頭したことがなかった。かわいがってもらっているお爺さんとお婆さんに対しても叩頭したことはないが、今回は師父の写真に向けて自ら叩頭した。老夫婦はびっくりして、理由を聞いた。天嬌ちゃんは、「それは師父ではないの。師父に叩頭しないわけがないでしょう」と言った。しばらく経って、天嬌ちゃんは、「師父の夢を見たよ。青い髪の毛、写真と同じ服を着ていて、《論語》と《精進要旨》を読んでくださった」と言った。

 1999年7月20日の後、天嬌ちゃんは、何日間も高熱を出した。病院で右肺葉が生まれつき開かないと診断された。秋に手術をして開かない肺葉を切除するしかないが、これから一生体が弱いままだと医者が言った。石勝英さんは、天嬌ちゃんを家に連れ帰り、天嬌ちゃんと一緒に法を勉強し、煉功を続けた。煉功のたび、天嬌ちゃんは痰を吐く。天嬌ちゃんは「『怖がらないで、肺葉を引っ張って開けてあげる』と誰かが話してくれる」とおばあさんに言った。それで、一ヶ月後、天嬌ちゃんの病気は不思議にも治った。

 1999年10月15日、石勝英さんは、北京に陳情に行って逮捕された。10月17日、次女の呂嫦?さんも北京に陳情に行ったため、北京西城看守所に監禁された。家族は苦しみに包まれていた。8歳の天嬌ちゃんは、おじいさんが苦悩で顔を腫れ上がらせているのを見て「おばあちゃんとおばちゃんはいつ帰ってくるの」と涙を流しながら、おずおずと聞いた。半年経って、石勝英さんは、体罰、電気ショックなどの拷問を受け、強制労働を強いられ、精神病院に送られるなど、苦しみを嘗め尽くした後、2000元の罰金を強いられ保釈された。娘の呂嫦?さんは、陳情に行き逮捕された経歴を書いたため、不法に1年の労働教養に処せられ、馬三家労働教養所に送られた。

 2000年釈放されて半年経った石勝英さんは、北京に陳情に行き、再び逮捕された。今回、3年の労働教養に処せられ、娘と同じ場所馬三家労働教養所に監禁された。石勝英さんはそこで娘と久しぶりに会えたが、娘は迫害され、人に支えられないと歩けなくなっていた。石勝英さんは、また天嬌ちゃんのことをも心配し、毎日悲しくてたまらなかった。

 生まれてから両親を知らない天嬌ちゃんは、一番親しいおばあさんをいつも思い、会いたがっていた。おじいさんと力を合わせて生きていく毎日で、非常にお利巧で、いじめられてもおじいさんに訴えなかった。あまりにもおばあさんに会いたい時だけ、「おばあちゃんいつ帰ってくるの」と小さい声でおじいさんに聞いた。

 2002年馬三家労働教養院で苦しめられ息絶え絶えとなった石勝英さんは釈放された。天嬌ちゃんは、おばあちゃんのそばから一歩も離れず、おばあちゃんと離れることを考えるだけで胸が張り裂けそうになる。ある日、石勝英さんは、天嬌ちゃんにご飯を作っているところへ、突然610オフィスと称する人が家に侵入し、ガスも消す暇もなく無理やりに連行された。そして、保釈されて病気がまだ全快していな石勝英さんは、再び張士洗脳クラスに連れていかれた。数日後、夫の呂慶斎さんも洗脳クラスに連行された。天嬌ちゃんは、かわいそうに、頼れる人がいない孤児になった。

 天嬌ちゃんが泣いている。誰がこの弱い子供の心を傷つけたのだろうか。誰がもともと孤児だった天嬌ちゃんを再び孤児にしたのか?警察官らよ、あなたたちは、石勝英さん、呂慶斎さんを連行した時、家の角に縮こまっている10歳の子供の目を見ていないのだろうか?あなたたちは、子供がいないのだろうか。孤児の心を傷つけることができるのか?あなたたちの子供はどうやって生活しているのか?良心と同情心が犬に食べられてしまったのか。天にも目があり、このように一つの命を扱うなら、天にも許されるはずはない。

 明白な事ですが、老夫婦は全力を尽くして孤児を扶養しているが、国家機関である政法委員会610オフィス、公安局、裁判所、検察院などの役員らは、孤児に何をしてあげたのか?誰が良い人?誰が尊敬すべき人?一目で分かるではないか。毎回家宅捜査の時、かわいそうな天嬌ちゃんは、「おじいさんとおばあさんは誰と連絡とっている?あなたは煉功している?」など自白を強要されている。

 張士洗脳クラスで、石勝英さんは苦しめられ、ややもすれば意識不明になったりして、何度も倒れ、頭を床にぶつけこぶがいくつもできてしまった。一ヶ月の迫害を受け息絶え絶えになった石勝英さんは、釈放された。2004年11月30日に石勝英さんは公園で公に法輪大法の素晴らしさ、天安門自殺事件の真相を伝えたため、真っ昼間に連行された。理不尽に4年の判決を言い渡され、今瀋陽監獄城女子監獄三隊に監禁されている。天嬌ちゃんは再びおばあちゃんを思う苦しみに包まれた。
 
 ここ数年の迫害を経て、家はすでに赤貧洗うがごとしという状況になった。おじいさんはまだ13歳の天嬌ちゃんを扶養するため、70歳を超えているのに、あちらこちらでアルバイトをせざるをえない。そのほか、毎月刑務所に2級身障者に認定された、今良い人になろうとするため監禁されている奥さんの見舞いにも行く。見舞いの時、刑務所に奥さんの生活費を支払わなければならない。こんな苦しい状況の中でも、610オフィス、警官などは、ややもすれば家を掻き乱しに来る。おじいさんと天嬌ちゃんは経済的にも、精神的にも、とても苦しい状況に陥り、巨大なプレッシャーにさらされている。
 
 ここで私たちは、天嬌ちゃんの境遇を公にした。世界の善良な人々は助けの手を差し伸べ、このかわいそうな子供を助けてください。傷ついた幼い心を癒してあげてください。
 
 中国大陸の大法弟子の孤児と小弟子に関心を示したすべての人々に敬意を表す!正義を支持し邪悪を譴責する人々に敬意を表す!


(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/7/19/106455.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2005/8/22/64141.html