深刻な病の試練は誰に与えられたものか?
【明慧ネット2005年8月6日】最近、学習者から2つのことをよく耳にします。1つは病に侵された学習者のために集団による発正念で、もう1つは邪魔された学習者がどんな執着を持っているのかを分析することです。私はふとある学習者のことを思い出しました。
この学習者は大陸のある地区の指導員でした。彼女は修煉に対して非常に強い意志を示しており、多くの学習者を率い、積極的に法を広めていました。彼女は周りに多大な影響を与え、知らない人はいないほど有名でした。当時、学習者達の行動までコントロールできるほどでした。ある学習者は、4.25のことを例にして説明してくれました。当時、彼女がもし、陳情に北京へ行くべきだと言えば、大勢の学習者が北京へ出かけたでしょうし、彼女が行かなくてもよいと言えば、皆も行かないでしょう。これは1つの例ですが、彼女は如何に学習者の間に強い影響力を持っていたかが伺えます。
迫害が始まってから1年が経ち、彼女は突然病に侵され深刻な状態に陥りました。当時、地元の学習者のみならず、彼女を慕っていた他の地区の学習者達も強い関心を寄せました。彼女のためにどうすればよいのかについて、やがて意見が分裂し、学習者達の間に対立が生じたほどでした。しかし、彼女はその数日後に世をさりました。
事が去ってから、彼女の病は彼女自身にとっても大きい試練でしたが、最終的には彼女を囲んだ周りの学習者達に対する試練であることが分かりました。結局、学習者達が法に従うのか、それとも彼女に従うのかの試験でした。何かが起きたときに、学習者達は感情的になり、彼女を助ける事に集中してしまい、最もすべきである邪悪を暴き、真相を伝え、自分自身の修煉に専念することを怠ってしまいました。即ち、学習者達は大法弟子が与えられた責務より彼女の安否を重視してしまいました。神はこの状況を目にして、すぐさま彼女の病状をさらに悪くし、彼女を先に逝かせ、その後の学習者達の行動を見るのです。学習者達が自分の修煉を堅持できるかどうか、法に従うことができるかどうかを見るのです。幸いに多くの学習者が自覚し、執着を放しました。勿論、彼女も円満成就しました。
ここでは、学習者達が互いに関心を寄せ、難儀に遭った学習者を助けてはならないことを指しているではありません。危険な時は助けが必要です。しかし、どのように助けの手を伸べるのか、全てを把握した上での行動が真の正念による正しい行いです。
今までの多くの例から、深刻な病に侵された場合、当人より、それは周りの学習者達に対する試練であり、学習者達は法に従い、真に固い意志で修煉をし続けられるかを試されるのです。
私は次の二点を悟りました。一、我々は神の道を歩む生命であり、行ったことに対して、人数の多少は問題ではなく、出発点及び過程において、自分の意識や状態が法に基づいているかどうかが肝心です。二、如何なる事が発生しても、我々が履行すべき使命からそれてはいけません——真相を伝え、世の人々を救い済度する——これが正法時期の大法弟子の責務です。
上述の例では、彼女自身が放していなかった執着に対して、巨大な難儀を覆ったので、容易に乗り越えることができませんでした。当時、他の学習者が彼女及び彼女の状態に執着しなければ、師父の要求に従い真相を伝えることに専念していれば、かえって、難儀もここまで襲って来なかったのかも知れません。何故なら、学習者達全員が法に従って、修煉を堅持しているから、すべきこともはっきりしていて、把握しています。そうであれば、神が学習者に対して作られた試練も、何の意味もないことが分かるからです。
深刻な病に侵された学習者には異なる状況があります。特に共産党の悪霊を取り除く最後の段階にある今、多くの邪魔は悪霊の仕業であり、学習者達の注意を分散させ、自分自身の最期を引き伸ばそうとした企みです。我々は、矛盾や問題が現れた際、そのことを単純化し、パターン化してしまわないことが肝心です。病に侵され、世を去ってしまった学習者に対して、その人の生前について分析、議論してはなりません。我々は常人の中でも温厚でなければなりません。さらに、自分自身に対して反省し、教訓を汲み取るようにしなければなりません。実は、現在も重い病に侵された学習者がいます。一部は上述の情況に似ていますが、一部は他の情況です。しかし、如何なる難儀や症状もあり、どの学習者の身に起きても、問題が一旦発生し、自分がそのことを知った場合、決して偶然ではなく、必ず、自分自身に修煉できる要素がその中にあることを明白にしなければなりません。
今回は、深刻な病に侵された学習者が現れた際、我々大法弟子が如何なる修煉をすべきかについて話しました。旧勢力、悪霊などについては論議しません。何故なら、試練や邪魔を操る者は誰であれ、我々が正しく認識し、修煉して向上した時に初めて超越できるからです。自分の表現力に限りがあり、言葉に不適切なところがありましたら、どうぞ、お許しください。
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/8/20/108777.html)
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