日本明慧


恐怖心は、心配することなく取り除けば良い

 【明慧ネット2005年8月19日】数ヶ月前のある日のことを覚えているが、ネット上で邪悪が大捜査:逮捕を行うとの情報を知った。当時、心の中はしっかりしていたつもりであったが、恐怖心が生じた。絶えずあれらの変異した常人の思想を取り除くことによって恐怖心は薄れたが、執着心が完全に放下できなかったため、良くないものを根こそぎ取り除くことができなかった。

 翌日、みんなは法会を開き、邪悪の大捜査:逮捕の情報に関する交流を行った。現場にいる同修が、いくつかの異常現象に気付いた。これらによってまだ完全に取り除かれていない私の常人の心が現れた。みんなと一緒に交流した時に、恐怖感を感じた。また、これらの恐怖の感覚が明らかに下腹部から生じていることに気付いた。その上、鎮痛が起こり、気分が悪くなった。次第にこの種の良くない状態が全身に広がった。まだ意識は、はっきりしており、自分の間違いに気付いて、正念を発して消去しようとしたが無駄だった。この時、一人の同修が先生の最新説法を勉強することを提案した。同修の一人が先生の説法を読み始めた。様々な体の反応を気にせず、私は目を閉じて真剣に聞いた。聞いているうちに恐怖心が徐々に消えて行った。同修が先生の説法を全部読み終えると私の恐怖心も完全に消えて行き、しかも正念がとても強くなり、頭がしっかりなってきた。心の底から言葉で表現できないほどの喜びを感じた。私は、再び大法の威力を証明することができ、先生が述べられている「法は一切の執着を取り除くことができ、法は一切の邪悪を突き破ることができ、法は一切のでたらめを見抜くことができ、法は正念を確固不動にする」(「妨害を排除する」)ことの本当の内涵を認識するようになった。交流の時、私は直ちにこの体験を同修たちに紹介し、同修たちはとても良い啓発だと笑顔を見せてくれた。

 上記の「下腹部が恐れている」という体験は、私にとってとても印象が深かいものだった。私は、これらの体験を通じて、恐怖を感じているのは私たち自身ではないことが明白にわかるようになった。正法修煉の過程の中で、私たちは、大法に同化されていない部分、まだ取り除かれていない執着は、全部邪悪に操られるのだ。私たちの思想や、あるいは身体上に現れる様々な良くない状態、その中に恐怖心が潜んでいる。実のところ、多くの場合本当に怖がっているのはあれらの邪悪、腐った鬼、共産邪霊であり、あれらが衝撃を受ける時、取除かれている時、私たちの思想の中にあれらがいて、身体上に恐怖心が現れる。私たちがそれらを見極めることができない時、それらについて行く時、それらは先生が要求している三つのことと衆生を救い済度することの妨害となる。

 恐怖心に関して、先生は「良く法を勉強すれば、常人の心を取り除くのは難しくない」の中で「しかし、恐怖心があるかないかは、修煉者と神を区別する証明であり、修煉者と常人の区別でもあります。修煉者であれば、直面するのは常人の最大の心を取り除くことであります」と、述べられている。

 恐怖心は、私たちの修煉過程の異なる時期に大なり小なりの様々な形式で現れてくる。私たちに恐怖心が現れる時、背後には往々にして名利、利益、情に対する執着が働き、衆生を救い済度する慈悲心が足りなくなる。その最も根本的な原因は、法の勉強が良くできていなくて、法の中におらず、法に同化されていない時に、宇宙の特性に反する多くの物質に囲まれて清浄な本性がなかなか現れにくい状態に陥るからである。それによって、正念が強化されず、先生と大法に対する正しい認識と確固たる確信がなくなる。当然ながらさらに正法時期の大法弟子として担うべき責任を認識できず、この世に来た時の誓いを忘れてしまい、自分自身のことばかり考えるようになる。それによりあれこれの恐怖心が生じる。

 将来、私たちのいかなる常人の心であろうとも天に持っていくことはできず、すべてが修煉して取り除くべきものなのだ。先生は「切り捨てるものは自分ではなく、みな迷いの中で迷っている」(「執着を取り除く」)と、教えておられる。実のところ、私たちの本当の本性は純粋であるが、ただ、下っていく各段階に多く低層の粗い粒子の物質が覆い隠されている。それでは、私たちは常人社会で形成された様々な常人の執着を自分として、それらについて行かなければならないのでしょうか?私たちは、恐怖心の後ろにある本質を見極めなければならず、一体誰が恐れているのかを見なければならない。探し出し、見極めてはじめて法に同化される過程の中でそれらを取り除くことができる。

 恐怖心は自然となくなるものではない。現在、大勢の同修が確固不動な状態に達しているが実のところ、それは、絶えず法に同化し執着を取り除く過程の中、正法修煉を実践の中で、一回また一回と降りかかってくる圧力に立ち向かって法を証明している。一回また一回真相説明をし、衆生を救い再度する過程の中で異なる次元での法の真実な内涵を体験することにより、先生と大法に対する確固不動な信念を確立し、その境地に達したと思う。それは法に同化された部分が主導作用をし、本当に確固不動になれたのである。(修煉者の確固不動はその次元まで修め、その境地での神の一面の自然な状態である。それは、慈悲であり、理知であり、知恵であり、まず同修のことに配慮し、全体を配慮して極端に走らない無我である。絶対に名利に対する執着をせず、人に言われるのは怖くて口先ばかりが恐れていないと言いながら無理して強く見せたがるなど歓喜心と顕示心に邪魔されたものではなく、同修と全体の安全を考えずに極端に走ってはいけない。(自分自身のことばかり考えて、自分自身に功と徳を積みたいというところから出発しない。)

 恐怖心が有っても、自分自身をはっきり見分け、法に同化し、大法弟子の本当の本性を現し、自分自身の先史の誓約を実現した時、恐怖心は必ず取り除かれる。



(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/8/19/108766.html