日本明慧


法輪図形の啓発

 文/大陸大法弟子

 【明慧ネット2005年8月12日】目前にある大法を実証し、衆生を済度する過程において、われわれ同修の間に一つの問題をめぐって論争することがよくあり、甚だしきにはわだかまりができ、矛盾ができて解決できない場合がある。もし、われわれが法輪図形のようになれればこのような問題はなくなるだろう。法輪図形に大きい卍符が一つあり、それが回転しており、その周りにはまた四つの太極と四つの小さな卍符があり、それらも回転している。これらのものでできた法輪も回転しており、つまり、太極であれ、卍符であれ、それらは皆自分の位置で自分がやるべきことをやっており、同時にそれらはまた一つの整体(法輪)を構成して、それらがやるべきことを共同にやっている。これらすべてはこれほどにも調和がとれ、乱れがなく、漏れがなく円容である。

 この図形から連想されたのはわれわれ大法同修のことである。もし、われわれが皆自分を中心とし、自分の考えを放棄せず、いつも自分が他人よりよく修煉できており、いつも自分が他人より優れていることを見せびらかそうとすれば、行っているすべては大法を実証するためではなく、自分を実証するためのことになってしまうだろう。すると、同修の間では協力することができなくなり、整体になることは不可能になってしまうだろう。宇宙の法を正すという重大なことは、絶対だれか一人の生命が引き受けられることではない。一つの卍符あるいは太極が円全体を占めても、それが如何に大きくても法輪ではない。法を正す過程において、われわれは自分がやるべきすべてのことは積極的にやり、その上で同修達と神聖、荘厳、純粋、漏れのない円容な整体に形成されることこそ、本当に師父を助けて法を正し、衆生を済度することができ、最後に先史の大きい誓願を成し遂げるだろう。

 われわれが集団で法を学ぶとき、「転法輪」を持って、一人が1段落ずつ読み、毎日毎年このように繰り返して通読する過程は、まるで絶えず回転しているようではないだろうか、常に回転している法輪と似ているのではないだろうか。われわれが同修達に整体に法を学ぶ環境を造って上げるのは、師父を助けて法を伝えているのではないだろうか。中国大陸では情況が特殊であるため、法を学ぶ大きいグループを形成することが難しいが、小さいグループをたくさん造れば、整体的に見れば大きいグループと同じだろう。整体的法を学ぶ大きい環境が形成されれば、解決できない問題があるだろうか、恐ろしい困難があるだろうか。師父は「当初、幾つかの神は法のごく僅かな一部の形式を見た以外、全宇宙に大法の真実の体現を本当に知っている生命はいません。皆さんが見た法輪は功の現れであり、本当に法を定めている法輪は、私以外に、如何なる生命も見ることができません。それは威力無辺なのものです。」(「2003年アトランタ法会での説法」)と言った。

 以上は個人の次元での認識であるが、間違ったところがあれば慈悲に指摘してくださるようお願いします。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/8/12/108199p.html