日本明慧


学習者の救援は正念と正しい行いで行うべき

 文/中国大陸の法輪功学習者

 【明慧ネット2005年8月5日】大法の修煉者は、利益と金銭に対する執着を放下しなければいけません。法を正す時期に、師父は学習者が互いに協力して共に大法弟子としてやるべき三つの事をしっかり行うことを我々に要求しています。また、師父は、学習者の間に相互交流を通じて法理の認識を高めることと、法を正すことに追いついて来れない学習者を助けることも我々に教えています。しかし、師父は物質上、或いは生活の面で互いに助け合うことを我々に教えたことはありません。一人ひとりの学習者は、自分の修煉の道があり、各学習者の修煉の道は異なります。生活の水準の違いは、この異なる内容のひとつでもあります。「生活困難」は、一部学習者の修煉環境の一面であり、この環境の中に学習者の心性を高める要素も含まれています。

 私達の地区は、人々の生活水準が比較的に高いです。近所のある年老いた学習者Aさんの親戚Cさん(学習者でもある)が、農村からAさんのところを尋ねて来た時、Cさんの生活が非常に困難であることを聞いた周りの学習者は、次々とお金を出して、Cさんに援助しようとしましたが、Cさんは受け取りませんでした。当時、皆の心境としては、Cさんも学習者であり、自然に親切を覚えており、且つ、Cさんは修煉意識が固く、よくできているから、皆はCさんに対して敬意を覚えていました。

 その後、Cさんは不法に逮捕されて、酷く迫害されて命も危なくなりました。Aさんは、このことを知って、お金を使って人脈を通じて彼を救助しようと思い、周りの学習者に1万元を借りることにしました。 

 一部の学習者は、この事について交流した後、次のように意見を纏めました。学習者を救援する時に、邪悪の迫害を曝露し、正念を発して真相を伝える(迫害に参与する人の家族、刑務所および現地の民衆などに)方法を利用すべきですが、お金と人脈を使う方法を利用すべきではありません。もし我々が邪悪にお金を渡したら、邪悪が更にそれを使って法輪功学習者を迫害するならば、それは許されますか? しかも、邪悪の人は迫害すれば利益を得られるからと思って、より迫害を積極的に行うことになるのではありませんか? 確かに一部の学習者が迫害を受けていた時、その家族はお金を使って問題の解決に乗り出しましたが、それは常人のやり方に過ぎません。私達、大法弟子としては、正念と正しい行いを持って対処すべきであり、常人のようなやり方を使うべきではありません。特に大法弟子全体として、そうすべきではありません。もしたくさんの学習者が、この事のためにお金を出しているならば、それは全体として隙があるのではありませんか? それは、邪悪の迫害に最大な口実を残したことになったのではありませんか? 邪悪はこれを見たら「よし、大法弟子はお金持ちだな!大切なお金を真相資料の作成に使わず、世間の人脈を利用するために使っている。ならば、もっと多くの大法弟子を捕まえて死にそうに迫害すれば、たくさんのお金を搾り出すことができるのではないか」と思うかもしれません。こうすると、悪人が思う存分に稼げるし、同時に、「610事務局」の“経済的に取りつぶす”という法輪功の迫害政策に当てはまってしまいます。 

 残念ながら、Aさんは、この意見を受け入れず、協力を得た学習者から集めたお金をCさんの弟(常人)に渡しました。これも、問題ではありませんか? 衆生はすべての希望を私達に託しているのに、私達は逆に学習者を救援するために、1人の常人に任せました。これでよい結果を得られることができますか? 結局、未だにCさんは釈放されておらず、ただ、受けた体罰が少なくなっただけのようです。

 この事は、修煉者の思想上の隙を示しており、各地域で共通に存在している問題でもあり、同時に迫害の複雑さを加担しています。ここで、この問題を提示して、皆さんに法理の上で検討してほしいです。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/8/5/107812.html