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江西省、江蘇省、湖南省、吉林省など多省の大法学習者17名が迫害により死亡

 【明慧ネット2005年5月18日】周志斌さん(男性、31歳)は、江西省瑞昌市楽園財政所の従業員であった。1997年に法を得た。1999年の「7.20」の後、2度北京へ陳情しに行き、公安局1科の悪警察官徐尤池、彭経才などに不法に逮捕され、地元に送られ、市の留置場に拘禁された。その後、九江市労動教養所で1年余り労働教養された。長期の迫害により、心身ともに深刻に傷つけられた。出獄した後、疾病は身につきまとって、2005年5月14日午後6時に死亡した。

 周素珍さん(女性、72歳)は、江蘇省南京市浦口区泰山鎮大橋村の住民であった。1996年に法輪功を修煉した後、30年余り患っていた心臓病が完全になくなったので、村の多くの人も大法を修煉するようになった。2000年に警察と村委員会(共産党の村の支部)は何度も家に来てかき乱しや恐喝をして、家財を差し押さえた。2人の娘も不法に労働教養された。周さんの心身は大きな刺激で、傷つけられたため、持病が再発し、2004年3月13日に死亡した。

 趙新さん(男性、46歳)は、湖南省衡陽市の大法学習者であった。1999年に大法を証明するため、北京に陳情しに行ったが、邪悪に不法に衡陽市麻薬中毒回復所に拘留された。2000年の春節の前に、再度拉致され、収容所に拘禁された。拘禁された期間中に、市の雁峰公安支局(元南支局)で残虐な体刑に苦しめられた。両手は手錠をはめられ、前歯を二本おられ、胸は17発連続して激しく蹴られた。これにより、趙新さんに深刻な内傷をもたらし、みぞおちが腫れて塊ができ、いつも痛く、数回鬱血を吐き出した。2001年1月18日の夜、家の中で悪警察に拉致され、再度、衡陽市麻薬中毒回復所に半年も不法に拘禁された。出た後も、長期にわたって監視居住され、心身は深刻に傷つけられた。2004年の下半期、胸部はずっと痛み、時々激痛がしていたが、2005年1月15日に死亡した。

 申春茹さん(女性、48歳)は、湖北電子工業総社の会社員であった。かつて高血圧、顔の麻痺など多種の疾病を患っていたが、1995年に大法を得た後、すべての病状はなくなり、顔色は赤くてつやつやで、健康になった。99年の「7.20」の後、職場の不法な役人はしばしば彼女に圧力をかけた。あるとき、職場の悪人は彼女の家に1冊の《転法輪》があることを発見し、澎劉楊路の街道委員会(共産党の町内の支部)に密告した。街道委員会と職場の不法な役人は2重の圧力を加え、彼女に毎日2回街道委員会に報告するように強要した。それらによって、彼女の心身は極めて傷つけられ、2001年の下半期に死亡した。

 劉秀生さん(男性、86歳)は、山東省淮河局の離職休養中の幹部であった。もともとは多くの病気があったが、1995年に幸運にも法輪大法に出会い修煉した後、健康になり、満面に赤みが差してきた。1999年7月20日に邪党が法輪功を迫害し始めた後、劉さんの3人の娘は法輪功の修煉を堅持したため、不法に労動教養所に拘禁された。劉さんの精神は圧迫された上、公安にたびたびかき乱され、恐喝されたので、2001年7月28日に死亡した。

 傅連義さん(男性、61歳)は、遼河油田のエンジニアであった。法輪大法を修煉する前は重病を患って、長年半身不随のままだったが、修煉後、体の状況は大いに好転し、坐って煉功することができるようになった。1999年の「7.20」の後、職場と公安システムの不法な役人等からの圧力の下でも、依然として煉功を堅持した。2004年9月に妻が派出所の悪警察に拉致されて拘禁され、家財を差し押さえられた。長期の精神的な圧力の下で、傅さんの体の状況は次第に悪化し、2005年2月5日に死亡した。

 王清発さん(男性、71歳)は、黒竜江省七台河市の住民であった。もとは心臓病を患っていたが、1998年5月に法を得た後、法を学んで煉功を始めると、体は急速に全快した。99年7月20日に北京に法を証明しに行き、帰ってきた後、しばしば邪悪にかき乱されたために、心臓病を再発し、2003年4月27日に死亡した。

 李志文さん(男性、70歳)は、黒竜江省鶴崗市興安炭鉱の職員で、鶴崗市興安区竣徳山上南23棟ビル2ユニット2号に在住していた。1996年に法輪功を修煉し始めた。99年の「7.20」に鶴崗市竣徳派出所の悪警察に恐喝されたことにより、肝臓病になり、2002年の春に死亡した。

 畢徳恒さん(男性、70歳)は、黒竜江省鶴崗市鶴砿グループ興山鉱房産科の定年退職者で、興山区10委2組に居住していた。2002年4月22日に大法を修煉したため、不法に2年間労働教養された。同年12月20日に高血圧のため一時出所されたが、2004年8月14日に咽喉癌で死亡した。いまだに奥さんは養老年金がもらえない。その理由は、畢徳恒さんが生前に使った分として今後10年間差し押さえるというものである。

 王艶秋さん(女性、60数歳)は、吉林省長春市の住民で、かつて長春大学で看護婦の仕事をしていた。1998年に法を得た後、多種の疾病が全快した。99年の「7.20」の後、積極的に大法を証明していたが、うそに害毒された家族に公安局へ密告され、2000年10月28日に当時の市公安局第1処の王立文などの悪警察官に逮捕され、長春鉄北刑務所に1ヶ月間拘禁され、高圧な迫害を受けた。帰ってきた後、長期にわたって職場と派出所の不法な役人にかき乱され、その上、家族も悪党にごまかされて迫害に加わったため、多種の疾病が再発し、2004年4月の初めに死亡した。 

 劉秀蘭さん(女性、60歳)は、吉林省図門市の大法学習者であった。2003年5月に悪警察に家に突入されかき乱されたことにより、脳血栓の病状が現れて、2004年8月に死亡した。

 譚希君さん(男性、79歳)は、吉林省徳恵市の住民であった。1996年に大法を修煉し始めた。2002年に2番目の娘が大法を修煉したため、不法に労働教養された。これにより、譚さんの心身は極めて傷つけられ、2004年7月に死亡した。
李景海さん(男性、70歳)は、吉林省扶余県社里郷の大法学習者であった。2002年の夏に、息子が不法に労働教養され迫害された。労働教養所での残虐な体刑と高圧の下で本心に反して保証書に署名して帰った後、悪警察が李さんの家を捜査した。恐れと憤慨のため、李さんは翌日の夜に突然脳溢血になり、死亡した。

 張玉蘭さん(女性、62歳)は、吉林省臨江市の大法学習者であった。2001年に北京に真相を説明しに行ったため、地元の悪警察に不法に拘留され罰金をゆすられた。家に帰った後、体はずっとよくなかった。2002年の3月に、悪警察はまた家に来てかき乱し、彼女を拉致して拘留した。帰ってきた後、体調が優れず、2005年3月24日に死亡した。
張妙玲さんは、50数歳で、内モンゴルフフホト市鉄道職員住宅に居住していた。不法な警官にしばしば家に来てかき乱されたことにより、持病が再発し、2004年に死亡した。

 李桂蘭さんは、75歳で、河北省徐水東史端村の法輪功学習者であった。目の前で娘が不法な警官に拉致されたとき、李さんは倒され、精神的にもはげしく傷つけられて、2002年11月に死亡した。 

 韓淑蘭さんは、60数歳で、法輪功を修煉したため、99年の「7.20」の後、悪警察にたびたび家に来てかき乱されたため、正常に煉功ができなくなり、持病が再発して、2004年に死亡した。



(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/5/18/102086.html