法を暗記した体得
文/米国大法弟子
【明慧ネット2005年8月9日】最近、私は法を暗記する計画を再び立てました。今、毎日一講を暗記しています。朝晩に暗記し通勤退勤の時も暗記し、仕事の時でも時間があればその時間で暗記します。九講を一通り暗記したら、《論語》をノートに写します。写し終えたら原文と照合します。今法に対する理解は毎日異なり、毎日自分の不足を見つけることもできます。昨日までまだ正しいと思ったことは、明日になるとまた新しい理解が生まれます。師父が《転法輪》でおっしゃった「功法を修煉すること自体はそれほど難しくはありませんし、次元を向上させること自体にはそれほど難しいところはないのですが、人間の心を放下できないから難しいと言うわけです」ということをますます実感するようになりました。
表から見ると、最近私の修煉、生活などは前より難しくなりました。前は家で仕事をしており、大法の真相を伝える時に何か技術の問題にぶつかったらすぐ解決でき、常人社会のでたらめなことに遭ったことがなく、法を勉強する時間も煉功する時間もありました。今は新しいところに来て、環境がまったく分からないし、毎日通勤には往復2時間かかり、普段仕事の時は同僚たちと世間話をしないと同僚に理解されません。会社で言う話はみな常人の話で、あれこれと隣近所のうわさをするだけです。
しかし、どんなことに遭っても、私は法を続けて勉強したため、師父はこれらの悪いことを良いことに変えてくれて、「一挙四得」とさせてくださいます。例えば、会社に来たばかりの時、技術部の支配人と産品部の支配人は「これは今日言ったら明日はやりあげないと!」、「分かりますか?「明日」はつまり翌日で昨日だった!」と一緒に私のことを怒っています。私は黙って聞いて、「常人は修煉者の前で非常に弱いものですが、彼らはどうしてこういう風に私に対処するのか?しかも私は会社の仕事をきちんとやっているのに」と心の中で思いました。私は、彼らと論争しませんし言い訳を言いませんでした。家に帰ってから私は法を勉強することにより自身に存在する問題点を見つかりました。その後そういうことは一回も起きていません。
大法の真相を伝える時間がきついので、私はよく夜遅くまでやっています。翌朝また会社に行きます。ニューヨークにきたばかりの時、周りの環境に慣れていないしご飯もまともに食べていなかったため、ある日会社で倒れそうになりました。ある朝地下鉄に乗って会社に行く時、「遅刻してもしょうがない、どうせ会社の仕事はすぐ終わらせるから。社長は別に何も言わないし、将来彼らにとって良いことかもしれません」と思いました。本を暗記する時間になり本を開いてみると、ちょうど次の言葉が浮かんできました。「これらの従業員は法輪大法を学んでから、早く出勤して遅く退勤するようになりましたし、コツコツと働き、上司から与えられた仕事は何でも文句なく受けいれて、利益をめぐって争うこともなくなったのです」(《転法輪》)。私はまた間違えました。今毎日早く出勤し同じ部門ではほとんど一番遅く帰ります。
師父は1999年5月8日の《法輪佛法——ニュージーランドでの講法》の中に「修煉である以上、修煉の道の中には偶然のことはありません」とおっしゃいました。ある日、技術部の支配人は机を叩きながら、「それなら、何でそうしなかった?……」と聞きました。その場の具体的なことも入れて考えると、私は法を正す中で自分がずっとためらっており行っていなかったが行うべきことは分かりました。またある日、会社の主な技術開発者は「そのいくつかのプログラムだけで、何日かかけて勉強すれば済むことなのに……」と私に言いました。私はこの話の中に含まれている意味を分かり、自分が安逸を求める根本的な原因を認識できました。つまり求める心を持っているのです。求めずに物事を行うことができず、得失を考慮する心を持ち、支払いともらいのバランスが整っているかどうかを考えています。修煉者は、常人と損得を計算することができますか?それなら常人と同じではないか。
私は長い間一つの執着心を放棄することができなかったのです。それは執着心だと知っているが、はっきりと認識できず放棄することができませんでした。ある日同僚に手伝いを頼まれました。簡単なのですぐ解決してあげました。同僚はお世辞を言ってくれました。同僚のお世辞から、私はその執着心を認識できそれを放棄するようになりました。
以前、大法の真相を伝えるために作ったプログラムは、あんまり使われずに捨てられました。もったいないと思ったが、どういうふうに避けられるかも分からず、しかたなかったのです。ある日、技術部の支配人は私と単独で話しをしました。「技術はとても堪能しているが、“business logic”に対してまだだ」と言ってくれました。またいくつの技術の問題を聞いてきました。簡単だと思ったが、私の答えはすべて間違っていました。それは“business logic”のことをはっきりと認識していないからです。支配人は何で間違ったかを熱心に教えてくれて、私はいろいろと勉強になりました。このことから、「最大限に常人社会に合わせながら修煉しなければならず」(《法輪佛法(精進要旨)(二)・大法とは圓容しているものである》)に対して、改めて認識することができ、真相を伝えるプログラムが捨てられた原因も分かり、別の真相を伝えるプログラムのやり方に対し新しい考えがわきあがってきました。
ほかにもたくさんの例があります。会社で見たこと接触したことは、偶然なことがありません。個人の修煉と関係あるか、法を正すことに協力するため起きたのです。通勤で地下鉄に乗る時起きたことも偶然ではありません。毎日、周りの人の言行から自分の不足に気付くことができます。会社の環境も変わっています。最近、会社が受け取ったプログラムは、皆大法の真相を伝えるプログラムと関連があるのです。以前会社はそういうプログラムを受け取ったことがほとんどなかったのです。
以上は、最近法を暗記した体得であり、間違ったところはご指摘をお願い致します。
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/8/9/108069.html)
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2005/8/16/63976.html)
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