日本明慧


師父の講習会に参加した思い出

文/ハルビンの大法弟子

 【明慧ネット2005年8月18日】1994年8月5日は、私にとって一生忘れられない日でした。私は幸運にも李洪志先生がハルビンで行われた講習会に参加しました。この日より、私の人生観が変わり、宇宙の特性「真・善・忍」に従い、自分を律するようになりました。

 講習会の初日、私は会場に入って、床に落ちてぎらぎら光っている法輪バッジを拾いました。隣の学習者は、「縁が深いですね、それは師父が学習者に授けたものです」と言ってくれました。私はとても嬉しくなり法輪バッジを胸につけました。私はもともと気功のことなどあまり分からなかったのですが、初日の講習が終わってもまだ何も分からないままでした。ただ師父は尊敬すべき人で、会場の雰囲気が和やかでよかったと感じました。翌日、私たちは早朝から会場に行って、先生が来られるのを待っていました。しばらくしてから、師父が乗った車が来ました。多くの学習者は道の両側に立って拍手で師父の到来を歓迎していました。師父は、「拍手をやめましょう」と微笑みながら言いました。師父は体格がよくて、学習者より頭一つ差があるほど背が高いのです。師父の顔にはいつも慈悲深い微笑みが満ちていました。その時の様子を今でもはっきりと覚えています。

 師父は講習会で学習者の身体を浄化してくださるとき、学習者全員を立たせました。次に、自分の病気のことを考えるように、もし自分に病気がなければ家族の人の病気のことを考えるように言われました。当時、私は『中国法輪功』を読んだこともなく、法について全く理解していませんでした。今、会場にいる私の病気を治療することができても、遠いところにいる家族の病気を治療できるはずがない、と心の中で思いました。それに、私はずっと痩せて細い体質で、胃の病気があるかもしれないと思いました。それから、師父は学習者全員に3回足で床を踏み叩くようにさせました。この日の講習が終わって会場から出たとたんに、私は体の変化を感じました。帰る途中に強い吐き気を催しましたが、吐いても何にも出ませんでした。周りの人に変な目で見られているので、心の中で「先生、本当に効くなら、家に帰ってから吐かせてください」と思いました。不思議なことに、吐き気がすぐなくなり正常に戻りました。家に戻ったとたんに、再び吐き気が始まり、緑色の苦い液体を少し戻した後、吐き気がおさまりました。翌朝すべて正常に戻りました。これを経験した後私は、師父は普通の人ではなく、本当に病気を治療する力があると思いました。

 数日間の講習会を通じて、私は師父が本当に不思議な力を持っていることを確信しました。私の頭の中で何かを考えたら、師父はすぐそれに答えてくれました。まるで私だけのために法を伝えているようでした。ある時、師父が会場の中を歩いて回られた時、私はもっと自分の近くに来られるようにと思いました。師父は講壇に戻って、「もっと自分の近くに来てほしいと思っている人がおり、体が浄化されないことを心配しているようです。安心してください。これよりもっと多くの人が居ても、私はすべてやり遂げます。講習会が終了した後、何年経っても、この会場の周りの壁に、私が発した功が残されています」とおっしゃいました(師父の話の大意で、もとの話ではない)。師父はまた「講法が始まると眠ってしまう学習者がいます。講法が終わると彼女も目を覚ました。」とおっしゃいました。これはまさに私を指しています。ちょうど私が目覚めたとき、師父はこの話をされました。まだ、師父は「頭の中に病気があるので、麻酔状態にさせてから調整してあげます。さもないとあなたが耐えられません。眠っている間でも、実は全部頭に入っているはずです」。これを聞くとても嬉しくて、師父に対する感激でいっぱいになりました。

 講習会の最後に、師父は「忍びがたきは忍びうる、おこないがたきもおこないうる。」とおっしゃいました。当時、「忍びがたきは忍びうる」に対して何とか理解できましたが、「おこないがたきもおこないうる」に対してなかなか理解できませんでした。他の学習者と一緒に交流しても、やはり理解できませんでした。師父が終わりの言葉をおっしゃった時、もうすぐ師父とお別れだと思い、胸がいっぱいになりました。何度も講習会に参加している周りの学習者たちも、みな泣いていました。

 この講習会の後に、心の痛い二つの思いが残されています。一つは、師父が講習会で「この村を通り過ぎたら、二度と同じ店に出会えない(中国の昔のことわざで、このチャンスを逃したら、二度と同じチャンスは見つからないという意味)」とおっしゃいました。しかしその時、私は「これは何ですか。そんなに貴重なものなのでしょうか」と思って信じていませんでした。もう一つは、上に述べたように「今会場にいる私の病気を治療することはできるが、遠いところにいる家族の病気を治療できるはずはないだろう」と思ったことです。この二つの思いを持っていたことに対して、どうしても自分を許せないのです。これを思い出すと、目に涙があふれ、師父に、大法に申し訳なかったと思います。

 講習会に、杖を突いて受講に来る学習者もいました。ある日、周りの学習者は、「杖を放してみたら」とその人に言いました。その学習者は、はじめは杖を放す勇気がありませんでしたたが、後で杖を放してみたら、自力で歩けるようになりました。その場の学習者はみんな拍手して法輪功の素晴らしさに感激しました。

 延吉市で行われた講習会のときに起きた一つ出来事をみなさんに紹介します。一人の学習者が、以前憑き物につかれて、人の病気を治療していましたが、徐々に話ができなくなりました。講習会のとき、彼は師父に会ったら、片手で師父をつかんで放さず、片手で自分の口を指しました。師父は何かをおっしゃった後、「もう話せますよ」とその人に言いました。すると、その学習者は本当に話せるようになりました。この学習者は非常に喜び、何度も師父に感謝の言葉を言いました。

 振り返ってみると、当時からもう11年が経ちました。早い時期に法を得た学習者として、しっかりしなければなりません。師父を信じ、大法を信じ、師父に要求された三つのことをしっかりと行い、特に世人を救い済度することをしっかりと行うべきです。「火事の中から、洪水の中から人を救う」気持ちで、精一杯努力しなければいけません。

 師父は、『ヨーロッパストックホルム法会へ』の経文の中で、「正しい念と正しい行いをもって、全ての障碍を解体し、真相を広く伝えてください。神はこの世にいます。」とおっしゃいました。私たちは本当に神の基準に達しているのですか。私たちは、毎日人間として物事を行っているのですか、それとも神として物事を行っているのですか。人間としていれば、人間を救い済度することはできません。神の立場になって、はじめて人間を救い済度することができるようになります。師父は講法の中で何度も強調されたことですが、自分がしっかり修煉できて、全体の協調が良くなり、三つのことをしっかり行うことができれば、はじめて最大に人を救い済度する力を発揮できます。私たちすべての大法弟子は、これを目指して努力しなければなりません。

 師父、ご安心ください。私たち古い学習者は、必ず日々精進し、金剛、磐石のような意志を持ち、修煉の道を正しくしっかりと最後まで歩み続けて、師父と一緒に家に帰ります。

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(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/8/18/108611.html