日本明慧
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台湾台北の大法弟子 【明慧ネット2005年9月13日】半年前、法の勉強をしっかりとしていなかった。その上、長い間、常人としての仕事もよく変えたりして、自分の修煉情況はとても不安定だった。そのために大法の仕事をする時、とても大きな卑屈な心を生んでしまった。心の中で、自分はよく修めていないと感じて、慈悲深い師父に申し訳ないと思った。しかし自分はこの執着心をすぐに認識することができず、法の勉強を通して、根本的にそれを否定して取除くことができなかった。 このような状態はしばらくの間続いた。ある晩夢を見た。夢のなかで、師父は私の右前に座って(真正面ではない)「あなたには、卑屈な心がある。」とおっしゃった。師父が私におっしゃったかどうかを確認するために、私は師父に「師父、私は卑屈な心があるのですか?」と聞いた。師父は「そうです。しかしこれ以上教えることができません。多く教えると、あなたの修めるところがなくなりますから」とおっしゃった。 目が覚めた後、「卑屈な心」も修煉者としての向上に大きな障害であることを悟った。往々にして、この心が取り除かれていないため、立ち直れないのである。 師父は「2003年旧正月十五日米国西部法会での法の解説」の中で次のようにおっしゃった。
個人の理解では、この法を正す最後の段階に、すべての執着心を根本的に取除かなければならない。卑屈な心も含めて、何らかの心がある限り、旧勢力の邪悪に隙間に乗じられ、師父が私達に要求する三つのことを良く行うことができなくなる。それこそ後悔しても補うことができなくて、すべての衆生と慈悲深い師父に申し訳ないことである。だから、現段階で「法を正す時期の大法弟子」として、絶えず法の勉強を通して、内に向かって探し、法に基づいて着実に三つのことをしっかりと行ってこそ、初めて「法を正す時期の大法弟子」と称する資格がある。
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/9/13/110280.html)
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