日本明慧
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文/大法弟子 【明慧ネット2005年9月8日】世の中の全ては、見た目ではとても複雑で誘惑に満ちています。常人は人心に駆使され、より良い生活を得ようと奔走し、いつもせわしない状態です。大法弟子としては、世間の全ては法を正すために造られたものだというはっきりとした認識を持ち、「複雑さと誘惑」の中に身を置いても、心は法を正すことに専念すべきです。そうして初めて、この「複雑さと誘惑」といううわべだけの現象から脱出することができ、私たちの進む方向を見極めることができます。 私も同じく人心を持っており、それは自分自身の法を正す確固とした正念を弱めています。また法を正す中に、求める心を持っています。邪悪は私のまだ取り除いていない人心を利用し、私を人の執着へと引っ張って行こうとする時、頑張ってそれを振り捨てようとすればするほど、激しく追いかけてきます。表面的には、「誘惑と人心の執着」に耐えるかどうかの試練ですが、根本的には、私の法を正す信念を動揺させようとし、私が衆生を救い済度する正念を保てるかどうかを試練しています。それらの全てに満ちているような、複雑で自分ではない「人心」を気に止めないようにしています。「人心」が制御する相手は人間であるからです。私は師を助け、法を正し、衆生を救い済度する正念を確固として保っていれば、「求めずともおのずと得られ、おのずと(すべての欲望や執着心を)捨てる」という言葉の内涵に関して、更なる認識を持つようになりました。 法を正す修煉の中で、人心をもって執着を取り除こうとしても、何の足しにもなりません。人の思惟と人の心の束縛から脱出して、法に基づき、法を正す基点に立って、大法弟子が行なうべきことを行い、全ての妨害を取り除いてこそ、おのずと人心を取り除くことができます。人為的に苦心して人心を取り除くことではないのです。法を実証し、衆生を救い済度する確固とした正念をもって、人心を取り除きます。 以上は個人の体得で、適当でないところはご指摘をお願いします。
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/9/8/109995.html)
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