日本明慧


迫害により死亡した石勝英さんの状況(写真)

 

 【明慧ネット2005年9月6日】2005年8月25日夜7時、遼寧省女子刑務所から石勝英さん(沈陽市の大法弟子)の家族に、「石さんは死んだ、今沈陽739病院にいる」という電話があった。家族が739病院に駆けつけると、徐姓(女性、30歳過ぎ)という警察官と遼寧省女子刑務所の4名の看守警察が事情を説明した。彼らは、石勝英さんは8月23日に心筋梗塞の発作を起こし、遼寧省女子刑務所病院に運ばれて治療を受けたが、間もなく死亡した、と説明した。家族は遼寧省女子刑務所病院で治療した時のカルテを見たいと要求したが、拒否され、ただ739病院のカルテだけを見せてくれた。そのカルテの記録には、石勝英さんが8月25日午後3時に739病院に運ばれてきたときに、すでに死亡していたと書かれている。
石勝英さんの遺影

 石勝英さんは、1996年に法輪功を修煉してから、とても元気になり、心臓の病気はまったくなかった。石勝英さんが亡くなる前の2005年8月18日(面会の日)、家族は石さんの面会に行ったとき、遼寧省女子刑務所第3管区の警察は、「彼女は囚人服を着ないので面会はできない」と言った。8月25日の夜、家族が石さんの遺体を見たとき、石さんの身体は囚人服にまとわれ、遺体には多くの傷跡が残っていた。左脇部に古い傷跡、前頚部に半円の鬱血斑、その少し下に擦り傷の跡、みぞおちにはかさぶたが剥がれた後の点状の痕跡が残っていた。両目は半分開いたままで、目じりには涙の痕が残っていた。この様子を見ると、恐らく囚人服を着せるために暴行を加え、窒息させて死なせた可能性が高い。

 家族は、石さんの治療を担当していた739病院神経内科の胡艶医師に確認したところ、胡艶医師は「体の傷は当病院と関係はない。当時、張院長も一緒にいたので、張院長に聞いてください」と答えた。その後、刑務所に駐在している城郊検察院の検察官は、遺体を検査した後、「体に確かに傷跡がある」と表明した。

 8月25日夜、家族が遺体の写真を撮ろうとしているところに、現場にいる遼寧省女子刑務所の30数名の警察により乱暴に阻止された。警察はカメラを奪って、中の電池を取り去った。その後、警察は強制的に石さんの遺体を運び出そうとした。家族は抵抗し、揉み合っているうちに石さんの娘が血を吐き出した。李という女性の警察隊長は、「彼らに写真を撮らせるな! 写真を撮られてインターネットに報道されたら、我々は仕事を失うぞ」と叫びながら、家族に「我々を告訴したら、おまえたちを労働教養所にぶち込むぞ!」と脅した。

 その場にいた一般市民は、警察の乱暴なやり方に憤慨を感じて、新聞社に電話をかけた。取材に来た記者は現場の情況を全て目撃した。結局、石さんの遺体は、遼寧省女子刑務所の警察により、沈陽市于洪区得勝村にある沈陽市于洪区葬儀場へ運ばれた。

 8月26日朝9時、家族たちは石さんの遺体を見るために、沈陽市于洪区葬儀場に行った。警備している遼寧省女子刑務所の警察は、石さんの夫と二人の親族しか入れないと家族に告げた。さらに、「必ず遼寧省女子刑務所の警察が同伴しないと入れない」という条件をつけた。話し合っているうちに、この警察は「家族の人が騒ぎを起こしている」と嘘をつき、近辺の公安局から50名あまりの警察を呼んできた。警察の理不尽な妨害により、家族たちは午後まで待っていても、結局、石さんの遺体を見ることはできなかった。

 8月27日、石勝英さんの3人の娘は、もう一度于洪区葬儀場に行った。警備している沈陽市鉄西区公安分局の警察は、横暴な態度で「君たちは誰だ」と威嚇して、ビデオカメラで彼女達を録画した後も、面会をさせなかった。遼寧省女子刑務所は、また家族の住んでいる地域の行政機関に依頼して、家族を告訴しないように説得、脅迫し、家族の行動を監視していた。

 石勝英さんの死亡事件により、法輪功に対する迫害の卑劣さと残虐さが再度暴露された。当初、沈陽市鉄西区裁判所は言いなりになって判決を下しやすくなるために、石勝英さんの年齢を66歳から59歳に直し、教育履歴を小学校から専門学校に直した偽りの判決資料を作成した。

 刑務所側は、石勝英さんが午後3時に死亡したと言いながら、どうして午後7時になってはじめて家族に知らせたのか。遼寧省刑務所管理局総病院は、遼寧省女子刑務所から300メートルしか離れていないのに、もし警察の言った通り、石勝英さんが心筋梗塞により死亡したとしたら、どうして遼寧省刑務所管理局総病院に送らず、10キロ以上離れている739病院に送ったのか。もし、裏に悪事を隠していなければ、どうして家族に遺体を見せず、遺体の写真撮影をひどく妨害したのか。

 石勝英さんは沈陽市刑務所城の迫害によって死亡した唯一の法輪功学習者ではない。錦州市古塔区労働局局長の李凌さん、凌源市北炉郷中学校数学教師の呉元さん、鞍山市の婁艶さん、新民市大民屯鎮佟家房村の関文江さん、本鋼計控工場の周智さん、沈陽市鉄西区の高連義さん(遼寧省刑務所管理局総医院で迫害により死亡)、遼寧省凌源市のある製鋼工場の労働者の韓立果さんなどは、皆、沈陽市刑務所城での迫害により死亡した。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/9/6/109881.html