日本明慧


「弟子たちの切磋琢磨」に助けられている

 【明慧ネット2005年9月8日】日常生活の中で、私の周辺には大法の同修が少なく、何かの問題に遭遇したときには、ほとんど自分で悟らなければなりませんでした。特に法を正す時期が始まったあとは、どう考えてよいか分からない問題に遭遇したことがありました。そういうときは、明慧ネットの「弟子たちの切磋琢磨」の項目を見ました。師父が諭してくれたおかげで、トップページを見ると、すぐに私の求めている答えが見つかることが多かったのです。私は同修たちの修煉の体験に、かなり助けられています。ここでそれを紹介したいと思います。

 私は大学生です。私はゲームに対して執着心があり、その執着心は、もう克服できたと今まで思っていました。しかしこの夏休みに、ある新しいゲームが発売されると、私の執着心は戻ってきてしまいました。私は毎日法の学習と正念を発することを続けていましたが、なぜかこのゲームを始めると夢中になり、完全にはまってしまいました。この強烈な執着心は、必ず取り去らなければいけないと分かっていましたが、心の中ではもうひとつの声が「お前はまだまだ子供だ、しかも今は夏休みだ、遊べ!遊べ!」とささやいていました。私はこれが魔の邪魔だと気づかずに、逆に妥協してしまい、自分には遊ぶちゃんとした理由があると感じてしまいました。

 二週間遊び続け、家の人も私を見て「このままじゃ、お前はもう終わりだ」と言いました。これを聞いて私は一瞬心がびくっとしましたが、「かれらはしょせん常人だから、常人の言うことなんて聞かなくていい」とも思い、ゲームを続けました。大学に戻り、ルームメイトに「出国の試験の準備はどう?」と聞かれ、私は恥ずかしく感じましたが、やはり自分をごまかしてしまいました。ある晩、ネットで友達とチャットしていると、いきなり「出国するんでしょ?試験の準備は進んでる?」と聞かれました。私はゲームをしながら、「まあまあだよ」と答えました。すると彼は突然「君の出国に関して、何かいやな予感がするんだ…」と言いました。これを聞いて、私は、もはや自分の良心を無視し続けることは出来ませんでした。この三人はみな私を諭していたのです。

 私は、突然、問題の深刻さに気づきました。そこでゲームを切って、二週間以上見ていなかった明慧ネットを開きました。見てみると、弟子たちの切磋琢磨の項目には「目覚め」という文字が並んでいました。「テレビやオンラインゲームにはまってしまった小弟子たちへ」というタイトルを見て、私は顔が真っ赤になり、衝撃を受けました。これはまさしく私のことをいっているではないか? もしも、師父がこんなに明確に諭してくれているのに、なお悟らなかったら、それこそ師父に合わせる顔がないではないか? 私は急いでその文章を開き、自分が今までいかに深刻に魔に邪魔されていたのか、時間がこんなに緊迫しているのに、自ら魔に心の隙を与えてしまい、修煉の道のりを後退してしまったことが分かりました。私はすぐにパソコンのゲームを削除し、二度とそれに邪魔されないようにしました。

 私のもうひとつの大きな問題は色欲です。色欲について話すと、私は恥ずかしいばかりです。小学生のとき、日本の漫画がはやっていて、大部分はアダルトでした。当時幼かった私は友達とそれを見て、頭にさまざまな毒素を注入されました。修煉を始めた後もずっと、非常によくない欲望の考えが、夢の中で出てくることがありました。しかも、とても深刻でした。そこで私はいつも正念を発して、これらの私に属さない毒素を取り去ろうとしました。すると頭の中の悪いものはかなり減りました。しかし、やはり、ときどき夢の中に現れました。特に最近はそれがひどくなっていて、考えるだけでいやになりました。

 私は自分がすごく汚く思えてしまいました。私はなぜこのような人間なのか? 私はこの世界に生きるべき人間でなく、早く死んだほうがましだと思いました。しかし、これは魔が私の修煉を邪魔しようとしていることに気づきました。私はすぐに正念を発してそれを取り除きました。それは本当の私ではない!正念を発し終えると、少し気分がよくなったのですが、依然として感覚がはっきりせず、進むべき道が分からないように感じました。そこで再び明慧ネットを見てみました。ページを開くと、すぐに同修が書いた色魔に関する文章が見つかりました。私は色欲が非常に深刻な問題だと気づきました。どうしてもこの執着心を取り除かなければならず、正念が強くなければならず、真正面からこの問題に立ち向かい、逃げてはいけません。一正は百邪を圧します。誰が本当の自分なのか、はっきりとわからなければいけません。

 この歴史的な時期に、私たちは、ただ衆生を救う使命を持っているだけでなく、さらに自分に注意する必要があります。自分を円満させると同時に、さらにうまく法を実証していきましょう。一分一秒を大切にしましょう。勇猛に精進しましょう!

 以上は個人の悟りです。正しくないところがありましたら、どうぞご指摘ください。

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2005/9/8/109952.html