日本明慧
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【明慧ネット2005年9月1日】 国際人権組織、国際精神衛生組織、全世界各界の皆様: 左淑純さん(46歳)は、2001年3月、迫害に抗議するために絶食したとき、看守警察官らは、食事を注ぎ込む口実で、左さんの鼻と口を押さえつけ、窒息させて死なせました。警察は、現場を封鎖して、密かに死体を片付けた後、被害者の家族に、左さんは心臓病によって死亡したと連絡しました。 陳隅香さん(43歳)は、2002年11月、拷問室に入れられて、両手を後ろで手錠にかけられたまま、長時間、同じ姿勢で洗脳用のビデオを強制的に見せられ、少し姿勢を崩すとすぐに暴行されました。11月26日、警察の指図を受けた麻薬常習犯の劉小玉らは、陳隅香さんを暴行した後、首を絞めて殺しました。 曹建珍さん(52歳)は、法輪功の修煉を堅持したために、拷問室で、4人の警官に暴行され、3本の肋骨が折れて、吐血しました。病院で末期の胃ガンと診断された曹建珍さんは、食事が食べられないため、警察に強制的に管で注ぎ込まれました。危篤になった曹建珍さんは、釈放されて間もなく亡くなりました。 胡正喜さん(60歳)は、法輪功と決裂し、批判する「保証書」、「懺悔書」、「批判書」などの書類の提出を拒否したため、長期間吊り上げられていました。胡さんは、迫害に抗議するために、80日間絶食し続けました。2005年5月、強制労働所は、家族に胡さんが死亡したと知らせましたが、遺体を家族に引き渡さず、強制的に火葬しました。(証拠隠滅のため) 劉彩雲さん(34歳)は、警官や、警察の協力者に長期に虐待されて、顔は傷だらけでした。劉さんは8ヶ月間、絶食講義をし続けました。その後、中枢神経を破壊する薬物を注射されて、両足が麻痺し、自力で生活ができなくなりました。警察は、入浴せず汚いという理由で、麻薬常習犯を指図して劉さんに暴行を加えさせました。劉さんの頭と背中からかなりの血が出て、病院で4針縫いました。2002年3月、家族は強制労働所から連絡を受けて、劉さんを迎えに行きました。しかし、帰宅する途中に、劉さんは亡くなりました。 夏婷さん(30歳)は、蘇州の美しい娘で、大学卒業後、深センで仕事をしていました。2001年9月、強制労働所の医務室に連れて行かれて、そこで1ヶ月間、不明の薬物を注射されました。9月末に医療室から連れ出されたとき、彼女は、完全に意識不明になり、歩行できず、自立して生活ができなくなりました。このような状態になったにもかかわらず、彼女は更に1年間の刑期を延長されました。2003年4月12日、釈放されたとき、彼女は依然として意識は恍惚とした状態でした。その上、強制労働所は、彼女の家族に2000元の医療費を強要しました。 鄒如湘さん(46歳)は、強制労働所で毎日のように様々な方法で虐待されていました。彼女は迫害に抗議するために、何度も絶食していました。監禁されている間に、度々不明の薬物を注射されました。2002年3月に釈放されたとき、全身が痺れており、両目は失明の状態になっていました。 楊有元さん(62歳)は、やさしい農婦です。2000年9月に拘束され、3日後に、看守大隊長の丁彩蘭は「彼女は精神分裂病があり、すでに株洲の某病院に移送した」と宣告しました。10数日後、彼女が連れ戻されたとき、顔色が悪く、無表情で、歩き方もよろよろしていました。もし、本当に彼女が精神病に罹ったら、中共邪党の悪法に従っても、すぐ釈放されるべきです。しかし、彼女は反対に、1年間の刑期延長に処されました。 胡月輝さんは、犯人の名札をつけないために、真冬に20日間両手を窓の鉄柵に縛り付けられて、両足が靴に入らないほどむくんでしまいました。看守警察官は、硬い皮靴で彼女の足を踏み、椅子の片足で彼女のむくんでいる足を押さえつけました。2001年3月のある日に、彼女は山の上の拷問室に連れて行かれ、そこで6、7名の警察官が交互に電撃棒を使って彼女を電撃しました。夜中12時に監房に連れ戻された時、彼女は意識不明の状態で、全身が腫れ上がり、まぶたと鼻に打身があり、下半身は血だらけで、下着が身体に粘りついて脱げませんでした。この様子を見た同じ監房の麻薬常習犯たちも、涙を流しました。翌日、彼女はまた連れて行かれて、不明の薬物を注射された後、記憶が喪失しましたが、「法輪功を修煉することは無罪です」という一言だけは話せました。家族が死にかけた彼女を迎えに行った時、強制労働所に1万元の医療費を強要されて、請求書には「アルブミン」という薬物の名前が書かれていました。その後、3年過ぎた今も、彼女は依然として意識は恍惚とした状態のままで、回復していません。 陳杏桃さん(30歳)は、強制労働所の迫害により、下半身麻痺、大小便失禁の状態に陥りました。これでも終わらず、警察官の朱榕は、彼女を冷たい鉄のベッドに縛りつけ、飲食もさせず、目と鼻に歯磨き粉を塗りつけるなどの方法で虐待していました。その後、強制労働所は責任を逃れるために、死にかけた彼女を地元の政府管理部門に移送しましたが、受け取りを拒否されたので、家族を呼びつけて、2000元を残して慌てて逃げました。彼女は暫くしてから亡くなりました。 実例11: 何応清さんは、湖南省生物機械電子職業技術学院の助教授です。2003年の夏、強制労働所で40日間にわたり、様々な姿勢で吊るし上げられ、虐待されていました。何さんは全身に疥癬ができて、耐え難い痛痒みに掻くことも許されず、やむを得ず絶食して抗議したため、口からゴム管を差し入れられて、警官の乱暴な手法により、喉と鼻は大きく傷つけられました。 張運蘭さん(50歳)は、12センチ四方の椅子の上に数十日間連続して立たされ、両足がひどくむくみました。立っている間に、少し目を閉じると、すぐ眉毛が燃やされました。最後に、張さんは知覚を失って倒れました。2005年4月、限界を超えた虐待により、彼女は精神異常になりました。釈放された後、彼女の悲惨な様子を見た隣近所の人たちは「健康な人だったのに、1年間の監禁により、こんな酷い状態に追い込まれて、共産党は本当に人間を鬼に変えるのだね…」と話しました。 黄用良、趙桂保、趙晋岳(すでに転勤)、衣金娥(すでに転勤)、丁彩蘭、袁立華、盧泳泉、龔超蓮、彭真品、符軍、方慧、王年華、陳冬霞、万煒、 譚湘謙、王煥新、朱志光、孫謹、黄文閔、袁嘉恵、賀小蓮、鄭霞、欧陽秀、易志奇、張燕平、尹彬、潘向東、範迎巧、陳偉、熊彦湘、譚美蘭、袁佳、唐璐雲、朱榕、盧春明、劉傑、劉霖、方芳、徐巧利、王玉蘭(死亡)、徐段輝 付録2:461名被害者家族の署名(省略)
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/9/1/109598.html)
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