日本明慧


自分に何ができるのか?

 【明慧ネット2005年9月16日】二人の年配の修煉者から、修煉体験を語ってもらいました。互いに交流し、精進できれば幸いです。

                                                           (一)

 ある修煉者とその妻は、法輪功学習者です。2人とも定年になり、退職金は全部で2、3千元ほどあります。これは、われわれのような中間レベルの都市の定年退職者たちにとっては、羨むほどの額です。それなのに、夫婦はとても倹約しており、節約したすべてのお金を、中国共産党に迫害され続けている法輪功の真相資料の作成のために、寄付しています。

 その修煉者は故郷に真相を伝えに行くのに、30時間以上もかかる寝台列車を予約するのを惜しんで、安い普通席で我慢しました。すでに70歳も過ぎたお年寄りなのに…。ほかにも、夫婦の家のすぐ近くに市場があって、とても便利なのに、夫婦はたびたび何キロも離れた遠い卸売市場にわざわざ足を運んで、少しでも安い野菜を買い求めています。このような細かいことからも、この夫婦がいかに法を証明しているか、お分かりのことと思います。

 ここまでみて、どう思いましたか? 私と同じように恥ずかしいと思ったのではないでしょうか? 自分はまだよく寄与できていると思いますか?

                            (二)

 また別の修煉者は、周りの人達が修煉を放棄したり、修煉する気が緩んで、マージャンで暇つぶしをしたり、色欲におぼれたりする人たちを見ました。この問題を心配したその修煉者は、修煉から離れた人たちの正気を喚起するため、一人一人の家を尋ねて、みんなを集めて一緒に法を勉強し、煉功ができるような段取りに力を入れました。

 以上のことは、口で言えば簡単ですが、私にとっては、涙がこぼれるほど感動した修煉者の偉大な物語です。振り返って考えると、自分にこのような慈悲心があるだろうか? 自分の心性はどうだろうか? 私は、修煉者の誰かが自分の修煉に対して厳粛になれなかったり、精進できないなどと聞くと、心から責めたり怒りがこみ上げたりするだけでした。この問題において、私とこの修煉者との差がどれほど大きいか分かりました。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/9/16/110539.html