日本明慧


家事と心理状態

 【明慧ネット2005年9月16日】資料を作成する学習者とある何人かの学習者は、家の家事をほったらかしにして片付けなかった。その共通の理由は、「忙しくて時間がない」からである。時間が経つうちに、洗っていない茶碗や皿が溜まってしまうと、食事の時に使う分だけ洗って使うことになる。布団も散らかっていて、大量の資料と一緒になっている。中には他の物もまぎれ込んで、ベッドや床の上や部屋のいたるところが乱れている。家で仕事をしている学習者の家は、親戚や友達が来たときに、立つ所も座る所もないほど、ごちゃごちゃと乱れている。

 潔癖な人はこんな「忙しい」状態をとても理解できない。多くのものがごちゃごちゃとなっているのは、家事の量が多いからではなく、怠惰な癖で少しずつ家事が溜まってしまうことが多いのである。一般の人は、朝起床してから、まずさっと布団をたたんで、洗顔などをしてから、他のことをするのである。朝食後に、ついでに茶碗と箸を洗ってから、仕事に入る。自分で物事を順序よく片付けることは、常人としてもよいことである

 自分の仕事だと思えば、布団を畳むことも、茶碗を洗うことも、そんなに時間がかからないことである。中国の古代では、人々はみな、毎日庭の掃除をして清潔な環境を保ち、個人のみだしなみや、服装を清潔に保つことは、子供のときからできなければならないことであった。これは仕事か忙しいかどうかは関係のないことである。これは共産邪党がこの半世紀の中で、中国の伝統的文化の美徳を跡形もなく奪い、中国人を世界で最も貧しく、だらしない民族にさせたのである。私たちは修煉を始めたのに、どうしてこの面で注意をし、気をつけて自分を律しないのだろうか? 

 修煉者として、これらの基本的なこともできないようであれば、それは大きな問題である。少なくとも自分の怠惰を克服せず、時間の配分をうまくしていないことになる。修煉している人は、どこでも品行方正な人でなければならず、どこでも法を実証しなければならない。人に見られているかどうかにかかわらず、表面がきちんとできなければならない。私たちは自分から惰性に妥協してはならない。大法の修煉者として大きな志を持ち、小さいことにもこだわって法を実証し、後世のためにも考えなければならない。

 だから「忙しい」ということは、自分をゆるがせにすること、散らかしっ放しにすること、油断することの理由にはならない。しかも、私たちが作り上げた一枚一枚のチラシは、皆私たち自身のものが入っている。私たちが、純粋な心理状態でチラシを作り上げなければ、どうやって世人に私たちが作り上げたチラシを大切にさせることができるだろうか?

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/9/16/110492.html