日本明慧


最後の執着を放下できれば、法を証明する道が開く

 【明慧ネット2005年9月22日】根本的な執着について、みんなさんと一緒に交流し、お互いの心性を高めましょう。

 法を勉強したのち、当時大法を証明した根本的な原因は何だったかと考えて、2001年に遡り、ある学習者が善行を行う手紙を見ました。その内容は「常人に真相を知ってもらえば、淘汰されるのを免れる。宇宙を創造したこの大法に反すれば、新しい宇宙において彼らの立場がなくなる。このことを考えて、とにかく多くの常人に真相をたくさん知ってもらえば、彼らも正法の中で救い済度される」というのが、法を証明する根本的な基点だったのです。

 現在は、もっと深く自分のうちを探る必要があり、その一歩とは何でしょうか?はじめの目的は何でしょうか?衆生を救い済度するためと大法を証明するためでないなら、善行ということを気にしたり、個人の圓満成就に執着したりして、または修煉の上達ぶりを顕示したいのであれば、これは常人の執着にすぎません。考えなければならないことは、なぜ大法の修煉に入ったのか?なぜ大法の中にいるのか?常人の心を捨てたかどうかということで、自分の内を徹底的に問い正すべきではないでしょうか?

 1999年に法輪功が弾圧されはじめた頃、多くの学習者はさまざまな執着心を持ってこの法輪大法の修煉に入ってきました。7月20日の迫害の最盛期に、旧勢力が根本的な執着心を持った人に強要した難に明確に対応できず、従ってしまった学習者がいました。今も同じで、どうして見分けられないのですか?外に出て法を証明できない人や、悟りを歪めて邪道に入った人や、更にスパイをする人などは、最初から執着をもって歩んできたのではないでしょうか?

 だからこそ、旧勢力は無理やり難を作ってこの人たちを探し出さなければならなかったのではないでしょうか?こうして真の修煉者が選ばれたのではないでしょうか?そして私たちに対する迫害も止めることができなくなりました。私たちは、たくさんの迫害を受けましたが、本当に自分に存在する根本的な執着心を放下できるなら、邪悪はとっくに解体してしまったでしょう。

 この根本的な執着の問題について、師父は『精進要旨(二)』の「円満成就に向かって」という文章で詳しく述べられました。

 「皆さんはご存知だろうか? 現在、旧い邪悪な勢力の大法を迫害する最大の口実の一つが、皆さんの根本的な執着が隠されているために、難を重くして、これらの人を探し出さねばならぬ、というものなのだ」。「それらは邪悪な者どもを動かし、人のすべての心、一切の執着に対し、もれることなく瓦解するよう大法と弟子を試しているのである。皆さんが修煉の中で本当に人間の根本的執着を捨てることができれば、最後のこの苦難もこれほど邪悪なものとはならなかったはずである」。

 一部の海外の修煉者は、自分の置かれた環境で完全に常人のすべてを放下できると思っているかもしれませんが、「生死を放下して常人のすべての執着にまで至る」と、かえって自らの取り去らなければならない根本的な執着を忘れて、むしろ自分の修煉がよくできたと思い込んでしまい、いっそう固く取り付いた根本的な執着を探し出すことができません。

 中国の修煉者は、まるで修煉の真の目的と原因を忘れたように、ただ単に献身的に大法の仕事だけをやって次元を上げることを図りましたが、修煉の中で最も根源的な執着を捨てることを忘れてしまい、大法の仕事の中で継続的に自分を修め、法を勉強することも忘れてしまいました。

 私たちが法の勉強を重視すれば、大法が必ず私たちを導いてくれるに違いありません。ただ正念を発するばかりで、法の勉強をおろそかにしてはいけません。「刀を研いでも、柴刈りを忘れず」を、心がけましょう。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/9/22/110995.html