日本明慧
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文/佳木斯市の大法弟子・李玄 【明慧ネット2005年9月30日】1996年の始め、敬虔な佛教徒である私に、実家で母は自分が借りてきた『転法輪』を見せてくれました。本を読みながらこれは実に素晴らしい本であることがわかりました。当時、一番印象深かったのは、これは心と身体(性命双修の功法)を共に修煉し、体を持ちながら佛になる修煉法であるということでした。その時から私は本当に生命に対する希望と、永久不変なものであると感じました。 以前、私は経文を求めてよく寺院へ行っていましたが、最終的に私が抱いている多くの疑問の答えは見つかりませんでした。しかし、この法輪大法にはそのすべての答えがありました。そして私に宇宙の真理をも教えてくれました。これこそが私の出会いたかった法であり、私は何のためらいもなく佛教の一切を放棄し、大法の修煉に入りました。 私は2日目の煉功で静功が終った時、腹部が熱くなり、何かが腹部に入って回っているのを感じました。これは、師父が私に法輪をくださったのだと分かりました。 修煉してから今まで、毎日の煉功のとき、法輪が私の頭上で爽やかな風の中で回転し、またそのエネルギーで髪の毛がなびいているのを感じます。動功の時、体を意識的に抑えないと、腹部の法輪で体が振り回されそうになります。生まれて始めて、私は本当に佛法の奥義を体験することができました。 私は今までに多くの本を見てきましたが、本の中の文字が動くのを見たことはありません。しかし、『転法輪』や他の大法の本の中の文字は固定しておらず、時には、その全体が動いており、時には偏や部首が単独に非常に早い速度で動いているのが見えました。また法輪の別の空間での素晴らしい形をも見ました。大法の修煉で私は言葉では表現できない、たくさんの素晴らしい経験をしました。ここでその中の一部を公表し、善良な人々への啓示となれば幸いです。 修煉前には、肛門が切れてよく出血していました。薬は一時的な作用しかなく、根本から完治することはできませんでした。毎回用を足す度に、激しい痛みを伴い、それは死にたくなるほどでした。 1994年、この病状はさらに強くなり、痛みで一晩中眠れないという状況になってしまいました。やむを得ず、数千元を使って病院で手術しました。しかし、その後も病状は良くならず、毎日薬に頼るしかありませんでした。当時の私は本当に絶望状態でした。 大法を修煉して以来、知らないうちに私の病気は完全に直り、以前あった足の静脈が怒張する病気もいつのまにか完治していました。法輪大法を修煉しなければ、今日の健康な私はいないのです。法輪大法を修煉しなければ、良い人間になろうとする今の私もいないのです。法輪大法は私の生命の源泉であり、私の永遠の宝器です! 物質的には貧乏な私ですが、“真・善・忍”の大法を修煉しています。私は世界で最も幸福な人です! 偉大な師父が多くの法輪功学習者から尊敬されていることに、江沢民が嫉妬し、善良な人々を弾圧し始めました。弾圧の目的を達成させるため、あらゆる手段で大法と大法弟子に嘘をつき、デマを流し、中国の多くの国民がいまだにその嘘に騙されており、大法を敵視し、大法弟子の真相説明に耳を傾けようとしません。彼ら自身の生命が壊滅されようとしていることがまだ分かっていません。 6.4天安門の学生運動は数日間ですぐ弾圧されましたが、法輪功は6年間の残酷な迫害を受けても、大法弟子はますます堅実になりました。それはなぜでしょうか? それは、法輪大法が真理であり、大法弟子が各自異なる次元での宇宙の真相が分かり、生命の本当に帰っていくべき所が分かっているからです。皆は宇宙の真理を守るため、すべてを放棄しても、“真・善・忍”への信念は放棄することはありません! 法輪大法に近づき、体験すれば、あなたも大法の素晴らしさが分かり、大法の偉大な真実を見ることができます。ある弟子の、「千金もたった一冊の『転法輪』には及ばず、百万の富になるより法輪功を修煉する方が幸せです!」 という言葉にあるように、この万古の機縁を大切にし、自分の生命に対して責任を負いましょう。
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/9/30/111510.html)
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