日本明慧
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【明慧ネット2005年10月14日】黒龍江省阿城市法輪功学習者・曹玉娥さんは二度も不法に逮捕され、万家労働教養所の男子監獄でベッドの柱に手枷を掛けられ、残酷に迫害された。2002年に釈放された後、体が極めて脆弱となり、ときどき強烈な腹痛に襲われ、2005年9月末にこの世を去った。 曹玉娥さんは阿城市ポリエステル工場の職員であり、かつて肝炎、咽頭炎、結膜炎、リュウマチ、低血圧、耳鳴りなどの数種の病気を患っており、仕事をするのにも苦痛で、家事がやっとできるぐらいで、自殺しようと思うことも何度かあった。法輪功を修煉してから、数年にわたって治らなかった病気がすっと消えた。体が受益しただけでなく、心も浄化され、思想境地が高まり、心身ともに健康になった。 1999年7.20、江沢民ごろつき集団が法輪功を不法組織と定めてから、警察は大規模な逮捕を始めた。曹玉娥さんは陰暦の1999年の大晦日に捕まり、阿城市城北派出所の所長である王偉民に第二看守所に連行され、そこで残酷な殴打を受けた。警察はベルト、竹箒、ナイロンパイプで彼女の頭を打ち、頭のてっぺんから冷たい水をかけ、手枷足かせで4、5日に渡って牢屋の窓に吊るした。このようにして36日間も不法に監禁されていた。出所したとき、5000元の罰金(現在は返還された)を強いられた。 曹玉娥さんの二回目の逮捕は、朝煉功していた時、「社会治安を撹乱する」という罪で警察に第一看守所に連行された。無実を証明するために、曹玉娥さんは断食で人権迫害に抗議を行った。結局、看守所の所長、看守所の医者と市病院の医者に、重湯と酒を混ぜたものを鼻から強制的に注入された。40日間の不法監禁を経て、3000元の保釈金(現在は返還された)を納めてから釈放された。 中央政府に真相を伝えるために、曹玉娥さんは上京することを決心したが、身分証明書を阿城の派出所に差し押さえられていたため、途中で捕まった。2000年2月19日に阿城看守所に送られ、そこで領収書もなく、2000元の罰金を強いられた。 その後、曹玉娥さんは不法にも2年の労働教養を言い渡され、万家労働教養所の12大隊に監禁されていた。監禁期間中に、看守は7、8人の女性法輪功学習者を一組にし、男子監獄に入れ、男子警察や犯人に苦しめさせた。看守や犯人は女性の法輪功学習者をベッドに手枷を掛け殴打し、夜になると冷たいコンクリートの床に寝かせた。第8大隊の隊長である劉輝は「彼女らを男子監獄に投げ込んだら、あいつら(男性犯人を指す)は何でもやりたい放題だ」とわめきたてた。このようにして曹玉娥さんはそこで8日間も苦しめられた。 転向せず、法輪功への信仰を放棄せず、保証書にサインしなかったため、警察は曹玉娥さんを個室の牢屋(窓のない小部屋)に閉じ込め、高電圧の電気棒で彼女を電撃した。曹玉娥さんは労働教養期間が満了しても釈放されず、2002年1月18日になってからはじめて彼女を釈放した。労働教養期間中に、工場は彼女の給料を差し押さえていたが、2003年3月になってから再び支給するようになった。 曹玉娥さんは労働教養所から戻ってきた後、体は非常に弱まっており、ときどき強烈な腹痛に襲われ、2005年9月末この世を去った。
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2005/10/14/112394.html)
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